涙の理由-1
2
宮下勉に会ったことは一度もない。眼鏡をかけていて、真ん中分けの髪型で、背はすらっと高くて、誠実そうな男。そんな人物像を抱くのは、彼が「勉」という名前だからかもしれない。
北海道帯広市にやって来た僕とルカは勿論知り合いもいなかったし、友達もいるはずはなかったので、北海道滝川市にいるときと変わらず、休日になると二人で会っていた。勿論、慣れない仕事で毎日くたくたになって帰ってくるのだから、会うのは専ら日曜日。毎週ではなく、月に二回程度だ。
「すっごい夜景が綺麗なんだって。帯広だと有名なところらしいよ。昔はナンパスポットだったんだけど、色々あって今はあんまり人いないみたい。でも、すっごい夜景が綺麗なんだって!」と、ある時ルカが提案した。
「行きたいの?」
「行こうよ」
「まあ、いいけど」
という訳で、ある日の日曜日の夜、僕とルカは二人で夜景スポットへ向かった。十勝川温泉街付近を走り、なだらかな坂道を登っていく。途中で案内板が出ており、その指示通りに車を走らせる。途中でやや急な坂道もあったが、道はきちんと舗装されており、車道も広かったので、僕らは難なく目的地へと辿りついた。
駐車場に車を停めれば、目の前にはすぐに夜景が広がっている。ちょっと離れたところに車が一台停まっているだけで、人影は見えない。ヘッドライトを消すと、辺りは真っ暗になり、目の前に広がる夜景が一層際立って見える。
「綺麗だね」とルカが言う。「夜景なんて見たの久しぶりだ」
「ちょっと降りようぜ」僕はエンジンを切り、車を降りる。ルカもそれに続く。
四月の夜の風はまだ冷たく、Tシャツにパーカーを羽織っただけでは寒いくらいだった。春の帯広市は、昼間の温かさに比べ夜はおそろしく冷え込む。温度差が激しい。
寒いし、夜景なんて十秒で飽きるし、っていうか寒いし、もう五分も経たずに帰りたくなっている僕の隣のルカは、真剣に夜景を見つめていて、飽きた。帰ろうぜ。とも言い出せずに、僕はゆらゆらと無意味に体を揺らしながら時間が過ぎるのを待っていた。「ちょっと、見て」とルカが言い、ん? とルカの方を見ると、彼女は顔を上げて空を見ている。僕もそれに倣う。
天気がいいのだろう。夜空には星空が広がっていて、思わず見とれてしまう。空はいつも僕らの頭上にあるから、僕らはそれをなかなか見ない。多くの人間は、子供の頃はともかく、いつしか空を眺めるのをやめてしまう。それだから、時折このようにして、おまけに快晴の夜に、視界一面に広がる星空を見るとなかなかに感動する。いつだって見られるのに、それに気が向かないおかげで、こうして感動することが出来る。
「凄いね」
「そうだな」
「星空見てるとさ、不思議な感じするんだよね。私」
「うん」
「なんかさ、昔の人たちもさ、こんな空見てたんだろうなって思って。手塚治虫とかさ、カート・コバーンだとかさ」
「うん」と言いながら、皆しょっちゅう夜空なんて見てなかったと思うぞ、とはいちいち言わない。たまには僕だって気を使う。
「宮下勉君も」
ルカの口からその名前が出て、僕はぎょっとする。