ルカ-1
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キッチンには汚れた食器が積み重なっている。一番上の大きな皿には乳白色に変色した油の塊がこびりついている。腐敗臭の漂う三角コーナーの付近を虫が横切る。
僕はそんな様を見ながら、コンビニエンスストアで買ってきたビールを飲み、煙草をふかす。ワンルームの小さな部屋だ。家具は薄いピンクで統一され、窓際にはぬいぐるみが並べられている。風が柔らかに吹いてきて、それが薄いピンクのカーテンを揺らす。
キッチンの隣にある寝室に視線を向けると、床にはルカの穿いていた刺繍の施された黒のショーツやら、スウェットやらが脱ぎ捨てられているのが見える。ベッドの上を見ると、ルカはまだ起きる気配は無く、裸のままで目を閉じている。胸の辺りまでブランケットがかけられ、乳房は隠れている。シーツは取り替えたばかりの清潔なもので、外からの春らしい明るい日差しが彼女を包み込んでいる。そんな光の中にいると彼女はまるで妖精のようにも見える。
僕は煙草の吸殻を缶コーヒーの空き缶に捨て、寝室へ向かう。そしてルカのすぐ側に立ち、目を閉じたままの彼女の頬にそっと触れる。かつての、気が狂うほどに磨耗し、消耗し、狼狽していた頃の面影は、もはや今のルカからは感じ取れない。窓から差し込む柔らかな陽光の中のルカは、全てが終わった後の安らかな表情で今そこに存在している。
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僕がルカと出会ったのは四年前だった。高校を卒業した僕は北海道滝川市にある短期大学に入学した。
幾分かの期待と希望に満ち溢れて入学したのも束の間、これといった友人も出来ず、恋人もいない僕の平凡と退屈をかき混ぜたシロップに漬け込まれたような日々。それを打破すべく、入学から三ヶ月ほど過ぎたある日、小学校時代からずっと続けていたサッカーのサークルに入り、緊張しながら入部の挨拶をする僕の頭の中は、母校のサッカー部にはマネージャーなんていなかったのに、短期大学のサークルにはちゃんと女子マネージャーがいるんだなといった風で、簡潔な自己紹介を済ませた僕に明るくはっきりと通る声で「よろしくね」と言った彼女こそが荒木流歌だった。
ルカは明るい性格の持ち主で、誰とでも隔てなく会話をすることが出来た。それは、一種の才能だと思う。僕は人見知りで、余り他人と話すのが得意ではない。でもルカはそんな僕に対しても無邪気に話しかけてきた。その姿は僕には随分と無防備に見えた。敵陣の真ん中をジーンズとTシャツというラフな格好でトコトコと歩いているようなもんだ。
ルカは人見知りの僕が人を寄せ付けないために無意識に張っているバリアのようなものを、どういう訳か初めからいとも簡単にすり抜けてきた。今まで出会ってきた多くの人間は僕の張るそのバリアに本能的に気づき、僕に近寄るようなことはしなかった。そのバリアをわざわざくぐりぬける苦労をしてまで僕と親しくなろうという人間なんていなかった。だから、壁をすり抜けるマジシャンのように軽やかに僕に近寄り、そして無防備な笑顔を僕に向ける彼女は僕にとって随分と稀有な存在だった。
にこやかに彼女は言う。昨日のテレビ見た? 休日は何をしてるの? ねえ、この服可愛いと思わない? 一緒にご飯行こうよ。