腹違いの妹・明美-1
<筆者注>この稿は、同じ場面を兄・妹それぞれの視点で交互に書いてあります。
また、別稿「今夜は兄妹ふたりっきり」の続編として読むこともできます。
葬儀場についた僕は、真っ先に明美を探した。
(…いた!)喪服を着て、ひとりで椅子に座っている。
どうやら旦那も子どもも連れていない。他の兄弟たちとも離れているようだ。
何かを感じたのか、ふと上げた顔をめぐらし、すぐに僕を見つけた。目が輝き、嬉しそうに微笑んだ。
もう通夜が始まる時間なのに、まだ兄さんは現れない。
私には他にも兄弟がいるが、私の人生で最も大切な人は兄さんだ。
私が兄さんを待ちわびていることが分かっているからなのだろう、他の兄弟は周りに誰もいない。
ふと気配を感じて振り向くと、入り口に兄さんがいた。…あぁ、久しぶりに会えた。
父親の葬儀である。
僕の実の父親だが、僕が小学生のときに離別した。それ以来10年以上音信不通だったが、僕がまだ大学生のときにその消息が知れた。隣のG県に住んでいたのだ。
自分以外の家族(母親と妹ふたり)は、まったくその気がない…というか、ただ拒否反応しか示さなかった。その気持ちは分かるが、僕だけは会いに行った。
父親に会いに行ったわけではない。明美に会いたかったのだ。
私が中学3年のときに兄さんが突然現れた。
見た瞬間、なぜか懐かしい気持ちになった。でも、その時はどこの誰だかはさっぱり分からなかった。
いきなり来たにも関わらず、父や母と親しそうに話しているのを見て、親戚の人かなとは何となく思った。父や、兄の栄治と面影が似ているせいもあった。
「明美か…大きくなったな」
顔を真正面に見据えながら言われて、心臓がドキドキしたことは今でも鮮明に覚えている。
明美は腹違いの妹である。
ややこしい話だが、父親の再婚の相手は、僕の母親の妹である。つまり叔母にあたる。だから、腹違いとはいっても、かなり濃い血の繋がりになる。
僕がまだ子どもの頃、一時期母親が家を出たことがある。そのあたりの複雑な事情は知らないが、僕と妹ふたりは、代りに家に入ってきた父親と叔母、そしてその間にできたふたりの子ども(栄治と明美)の7人で一緒に暮らしたことがあるのだ。
明美は可愛かった。僕は下の妹の真知子も好きだったが、幼い明美はまるで天使のように思えた。
記憶ではその暮らしは一年ほど続いたはずだが、やはり無理があったのだろう。母親が家に戻ると、正式な離婚の手続きをして父親たちは家を出てしまった。僕と明美は別れ別れになった。
兄さんはその後も何度か来てくれたが、その正体がなかなか判明しなかった。父も母も口を濁して話してくれないのだ。今から思えば、離別したことに対する後ろめたさがあったのだろう。
ある時、思い切って本人に訊いてみた。すると、少しためらいながらも、いつかは分かることだから…といって全てを教えてくれた。
私たちは腹違いの兄妹だった。しかも、母親同士が姉妹である。ほとんど実の兄妹と変らない。
私は驚くと同時に、なぜかすごくがっかりした。
がっかりした理由にはすぐに気がついた。私はいつの間にか兄さん(当時は名前で呼んでいたが)に憧れていたのだ。
いや、思春期の憧れだけではない。この人のお嫁さんになりたい、と強く願っている私がいたのだ。