龍之介・七-1
<2008年12月・・・葵23歳・龍之介22歳>
「大友先生、お帰りなさい」
俺なりのおかえりに、葵は寒風にさらされた赤い顔ではにかみながらヒールを脱いだ。
先生になりたての頃に比べて反応が薄くなったが、それでもちゃんと笑ってくれる葵は優しいと思う。
「いや、そこまではしなくていいから」
ふざけて抱き締めようとしたら、片手を突き出して笑いながら拒否してきた。
「葵はよくても俺がやりたい。ほら、俺の胸に飛び込んでこい」
「やだきもい!龍くんもう大人でしょ、お姉ちゃんをハグするとか有り得ないから!」
いやだと言いながら逃げる葵を、両手を広げて追い掛け回した。
風呂場に逃げたと思ったら俺をすり抜け、台所へ駆け足で飛び込む。
「あんまりふざけてると叩くよ、龍くん」
おたまを俺に向けて、刀の切っ先を動かすみたいに揺らして威嚇している。
表情は明るくて悪戯に乗っている様に見えて、口で言うほど怒っている様には見えない。
「・・・別にいいだろ。もうすぐ抱けなくなるんだからな」
「まだ2ヶ月近くもあるじゃない。ああいやだ、その間毎晩龍くんの馬鹿騒ぎに付き合わされるなんて」
冗談ぽく言う様子からは、寂しさはあまり感じられない。
何というか、葵もようやく子供らしさが抜けてきた気がする。
それは、単に明るかった茶髪を大人しい色に落とした、それだけじゃないと思う。
葵が無事に大学を卒業し、高校の先生になったのは今年の春だった。
それより少し前くらいから俺はシフトが早番中心になって、葵より帰るのが早くなった。
いつも葵に迎えてもらってたけど、役割が入れ替わって俺が迎える様になった。
・・・でも、それももうすぐ終わってしまう。先週いきなり転勤を言い渡されたのだ。
広田さんも去年転勤になったし、人の入れ代わりが多い会社だから自分もそうなるのかな、と漠然と思っていた。
「東京も慣れたら結構いいとこだったけどな。年が明けたら隣の県か」
「大丈夫、龍くんならどこでもやっていけるよ。聞き上手だからね」
来年の2月から新しい生活が始まる。
向こうの支店に行ったらまた1からやり直しだな。
全く違う配送ルートになるから道順も覚え直しになるし、人も変わるから顔と名前を覚えなくちゃならない。
でも、それでいいのかもしれない。少なくともしばらくは他の事を考える余裕は無くなる。
それにそろそろ一人になるのも悪くない、そう思い始めてたとこだ。
まだここに転がり込んだばかりだったら、恐らく転勤を突っぱねただろうな。