雨の季節-2
駅から少し離れた鼠色のアパートの駐車場にバイクを停めて、ヘルメットを脱ぐ。
背中にシャツが貼りついて腕に粘ついた汗が浮かんでたけど、拭おうともせず自分の家へと急いだ。
(無事でいて、お願いだ。もしあの人がいなくなっちてしまったら・・・)
エレベーターを待つのももどかしくて階段を駆け上がる。
その時、雨が降り出してきた。
音がしたと思ったら急激に雨脚が強くなり、家の前に着く頃にはどしゃ降りになってしまった。
駐車場から目と鼻の先の距離なのに、それを縮めるまで雨は待ってくれなかったらしい。
「・・・!」
鍵を取り出そうとしたらドアノブが動き、中からあの人が顔を出した。
良かった、無事だったか。
「おかえり・・・」
激しい雨に掻き消されそうな小さな声でそう言うと、僕が入れる様に一歩下がる。
そのさり気ない気遣いが何だか嬉しかった。
「帰ってくるってよく分かったね」
「いつも、これくらいでしょう。時間」
口元が緩くなっていく僕とは対照的に、喋っていても殆ど顔のパーツが動かない。
だが僕には分かる。無表情に見えても、この人は・・・母さんは、きっと安心している。
そして僕の方がその何倍も安心してる。
胸に溜まった煙の様に重い不安を息と一緒に吐き出し、表札に目をやった。
¨303号室 設楽真由美・定彦¨
母さんと、僕の名前だけが書かれている。
ここには二人しかいない。唯一残った、血の繋がった母親だけだ。
「母さん、具合はどう?」
「大丈夫よ・・・」
答える、と言うよりは口から漏れるといった方が正しい様な、小さな声で言った。
水色のノースリーブから覗かせる、細く儚く、折れてしまいそうな、木の枝みたいな腕。
小さな頃僕を抱っこしてくれた時はもっと太かった気がする。
膝迄のスウェットに包まれた脚も、腕と同じく細すぎて見ているとどこか切なくなった。
腰まで伸ばした黒髪は、湿気のせいで毛先が跳ねていた。
厚みのある赤いピンクの唇、綺麗な高い鼻、そして前髪で隠れた額のすぐ下にある、丸くて大きな漆黒の瞳・・・
どのパーツを見ても、母さんは変わらずいつも綺麗だった。
「学校はどうしたの」
「え・・・いや、その、面倒で、抜け出してきた」
「駄目よ・・・ちゃんと授業は受けなくちゃ」
僕を見ている様で見ていない、どこか遠くに目線を向けて、ぼそぼそとつぶやく様に話している。
安心したわけでもないけど、ひとまず変わった様子は無いのでほっとした。
母さんが静かなせいか、激しい雨が窓を叩く音が強く感じる。
・・・本当に大丈夫かな。僕も雨は嫌いだけど母さんはもっと嫌いなはずだ。