狼さんも気をつけて?-19
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バーの二歩手前、右足で思い切り大地を蹴り、一気に空中へと舞う。
空にさんさんと輝く太陽を見かけたら全身をうねらせ、下半身をバーの向こう側に巻きこむ。その際起こる『背中を下にしたくない衝動』もしっかり我慢する。
しかし、ドサリと鈍い着地音の後に続くのは、おきまりのカラカラと乾いた音……。
これで通算三七回目の失敗。相違点と言えば、バーの高さが一五〇センチになっていることと、フォームが正面跳びから背面跳びに変更されたこと。
「また失敗か。でもま、新しいことには失敗がつきもの、失敗は成功の元、一の成功の後ろには百の失敗がある。チャレンジ精神を忘れるな!」
「はい……」
土田は相変わらず精神論を振り回すが、明はその失敗の連呼に暗いため息をつく。
そんなこんなでしょぼくれていると、またしてもクマのタオルに視界を覆われる。
「明! だらしないぞ! しゃきっとしろ!」
陸上部のアイドルは、見るものを癒す満面の笑顔と、相変わらずのハキハキとした声で元気付けてくれる。
あの日から数日経ったが、彼女は特別に明を意識している様子がない。それこそ教室でも部活でも『いつも』通り。
「だってさ、イメージが沸かないんだよ。なんか良い方法がないかな……」
しかし、明は意識してしまい、まっすぐ見ることが出来ずにいる。
「んっふふぅ……それじゃぁねぇ、いい方法があるもん。あのね、目を瞑るのぉ……」
間延びした声は『特別な二人』になる合図。帰り道に雨でも降らない限り、彼女がそんな猫なで声を出すことはなく、ついつい明は背筋を伸ばし、期待を膨らませてしまう。
そのよく躾けられた様子に、夢はクスリと笑う。明自身、最近の調教され具合は情けないと思っているが、それでもご褒美が待っていると思うと、人狼のプライドも忘れて、自然と従順な犬に成り下がる。
「んとね……、チュッ!」
唇にそっと触れるだけのキスは物足りないが、目を開けたらにっこりと微笑む夢がいる。それだけで春色の風が胸に吹く……はずが、その後ろに控えていたのは鬼の形相の先輩達。夏と秋を置き去りにして、彼の心模様が冬一色に染まる。
「さぁてと、夢は片付けあるから、また後でね」
「ん、ああ、うん、後で……」
夢はヒラヒラと手を振ると、荷物を持って部室に向かう。
「……群雲は青春しているなぁ、分けてもらいたいくらいだ。……ところで、さっきの背面跳びは良くないな。まだまだ跳躍力が足りない」
冷静な声とは裏腹に、こめかみの辺りがヒクヒクと痙攣している。
「そ、それじゃぁ筋トレですね? 邪魔にならないように隅っこで……」
そそくさと退散を決め込む明だが、砲丸投げを選択している先輩に掴まれると腕を振り払うことが出来ず、そのまま体育館脇へと引きずられていく。
「いーや違うな。背筋の柔軟性が足りないんだ。だが一人では難しいだろう。よし、ここは一つ先輩としての後輩指導をしてやる! ……そうだ、皆も手伝ってくれるか? 陸上部期待の星だ、部員一丸となって群雲を指導しよう!」
「「おーッ!」」
何処からともなく現れる部員達。中には他の部員達までもが面白がってやって来る始末。
「ちょっ、まっ……人の話を……わぁ! が、はぁ……んぎぎぃ!」
多数の先輩にのしかかられ、プロレス技のようなストレッチをされる明。必死にもがいたところで、手は空をかくばかりなり。次第に息が苦しくなり、目も霞み始める。
そんなおり、ふと思い出すのはある物語の結末。
赤い頭巾の女の子を食べた悪い狼は、森の狩人達に……。
狼さんも気をつけて? 完