幻蝶(その1)-6
その亜沙子さんから、突然、ボクに電話があったのだ。
…ヤスオくん…同窓会は楽しかったわ…わたしも久しぶりにヤスオくんに会えてよかったわ…
…手紙…ありがとう…ごめんね…返事を書かなくて…でも、うれしかったわ…
…まだ、仕事見つからないんだ、ヤスオくん…でね、今度の土曜日の夜、トモユキくんと三人で
飲みに行かない…いいじゃない…安い居酒屋さんだから…
どうしてトモユキなのか、わからなかった。同窓会で久しぶりに会ったトモユキとは、少しだけ
言葉をかわしたくらいだった。
トモユキとは、小学校、中学、高校と同じ学校だった。当時住んでいた家が近かったこともあっ
て、トモユキは何となく気が合う友人だった。
彼はT大法学部へ進み、ある大手の都市銀行に入った。ボクは福祉関係の専門学校に進んだけど、
ママがいなくなってから途中で学校をやめた。あのころからトモユキと会うこともなくなった。
…あのホテルの近くの安い居酒屋だから…と、亜沙子さんは言ったのに…。
ボクらが向かった先は、高級ホテルのレストランだった。亜沙子さんは白いミニドレス姿で
トモユキは、グレーのスーツ姿だった。
ボクは居酒屋だと思っていたから、Tシャツとハーフパンツにサンダル履きというなさけない姿
だった。
「ごめん…場所を変えたこと連絡しなくて…急に、ここのレストランの優待券があったことを思
い出したの…」
亜沙子さんは、にっこり笑いながらトモユキと腕を組んで歩く。
そのとき初めてボクは亜沙子さんがトモユキとつきあっていることを知った。どこか自分の心の
中にすっとせつないような風が吹き込んでくる。
トモユキは、ボクのみすぼらしい姿に、ちょっと戸惑った様子だった。ボクに怪訝そうな視線を
投げかけたホテルボーイに案内されて、ボクはそわそわしながら、最上階にあるレストランの席
に着く。
彼女のドレスは、胸のところが大きく開き、首筋から艶やかな白い肌を見せ、形のいい胸のふく
らみとほのかな谷間の翳りを覗かせていた。腋下にうっすらと見えるブラジャーの線に、ボクは
亜沙子さんのからだをしっかり感じていた。
三人でテーブルを囲むぎこちなさとまわりの客の視線に、ボクはそわそわと落ち着かなかった。
そんなボクの様子を亜沙子さんは、目を細めるように楽しみながらときどき視線を向けた。
「なんだ…ヤスオ、まだフリーター状態なのか…厳しいな…」
彼は長身で体格もよく、ずっとサッカー部で女の子にも人気があった。
でも、トモユキが亜沙子さんを当時好きだったとは聞いていなかった。亜沙子さんは高校一年の
ときにボクたちの学校に転校してきた。
あのころトモユキが、亜沙子さんに気があったとは思っていなかったから、もしかしたら亜沙子
さんがトモユキを気に入っていたのかもしれない。
背後にモーツアルトの弦楽曲がゆるやかに流れるレストランは、部屋の淡い光と窓から見える街
の散りばめられた光の渦が、華やかなコントラストを描いていた。
ボクの隣に座っている亜沙子さんのパンストに包まれた白い太腿から伸びた細い足首が見える。
光沢のある白いハイヒールがよく似合っていた。ボクのアサちゃんのフィギュアの脚の線とぴっ
たりだったのが嬉しかった。
赤いワインで乾杯する…その意味がボクには理解できなかった。