熱帯夜-10
一時間後にはその場にいた客はみんな帰って、店は急に静かになった。
「アヤカちゃん、大丈夫?カナちゃんは怪我とかして無い?」
チーフが優しく問いかける。
「はい、あたしは全然平気です!かすっただけだし」
アヤカはにこっと笑って見せた。血もすぐに止まったようだ。
それに反してカナはまだ顔を曇らせ、うなだれていた。
「カナ…昨日から具合が悪かったんです。熱があって…」
カナはそんなことを涙ながらに話す。
それを信じて、同情の眼差しを向けるみんなが可笑しくて笑えてしまう。
「あの時、一瞬世界が揺れた感じがしたんです…。そしたら…」
ぶわっとカナの瞳に涙が溢れた。
「そうだったの。無理しないで言えば良かったのに…気付いてあげられなくてごめんね」
「そっすよ、カナさん頑張り過ぎですよ」
「わざとじゃねぇの?」
可哀想だと庇護する中に突然響く声。
それは今まで一言も喋らなかったジュンのものだった。
私にも彼が何をしようとしているのか、全然分からなかった。
「俺は見てたよ?便所行きてえなって思って店見渡してただけだったけど。カナさん、押したろ」
しん、と空気が静まり返った。
「…え?ジュン君、何…言ってるの?私、そんなことしないよぉ!ね、藤さん?」
「あ、あぁ」
…藤?
「ええー、でも元気そうにつかつか歩いてたし、わざと押したように見えたんだけど」
「やだぁ、何でそんなこと言うの…?カナ…そんなこと…っひ、うぅ〜っ」
カナはこれ以上堪えきれないといった様子で、顔を覆ってまた泣き出した。
「ちょっとジュンさん、言い過ぎだろ?それは流石に無ぇわ」
タカヒロがジュンを睨む。
「ん〜、…だな。悪い、カナさん。たぶん俺の見間違いだわ」
あっさりとジュンが非を認め、苦笑いしながら頭を下げた。