「Mになった女王様」-6
事件以来三ヶ月が過ぎた。結局警察は「民事不介入」ということで弘志に押し切られた格好になり、美恵は自由の身になったが、翌日からマンションに引きこもり、無断欠勤が続いた会社も自動的に退職扱いとなった。
弘志は実家のある横浜に帰ったと聞いているが、住所も分からぬ以上、確かめようがないし、会ったところでどういう顔していいのか分からない。さすがに三ヶ月も経つと、精神的にも落ち着いてはきたが、仕事を辞めてしまった今、毎日をどう過ごせばいいのか、またこれからどう生きていけばいいのかわからなくなっていた。
(弘志は今、どうしているんだろう?)
二日酔いで割れるような頭をかかえて寝室から出てきた時、美恵の目に最初に映ったのは、全身アザだらけで青白く変色した弘志の裸体だった。両手首を天井から吊るされたまま、頭をがっくりとうなだれ、完全に血の気は失せていた。
美恵は血を吐かんばかりに絶叫し、無我夢中で縄をほどき、弘志の名を叫びながら体にすがりついて号泣したが、弘志は全く反応してくれなかった。
警察に連行され、取り調べを受けるも、何をどう話していいのか、とにかく警察官の問いかけも耳に入らず、ただひたすら泣き続けた。
自分はなんて事をしてしまったんだろう、その自責の念と、会社入社以来築き上げてきた地位を失った事、そして今弘志が自分の目の前にいない事、いろんな事が頭の中をぐるぐるまわり、美恵を苦しめた。
鏡の中に映る自分の顔がひどく醜く見えた。
美人でスタイルが良くて仕事が出来て、そんな美恵に男達はみな言いなりになった。そしてそんな男達を見下していた。その結果、美恵は多くの敵を作り、みんなから嫌われていった。
高慢で高飛車でイヤな女、結局美恵自身その事にはずいぶん前から気付いていたのではないのか。
弘志は美恵の責めに耐え続けた。周りの者全てが美恵の事をうとましく思っている中で、美恵と正面から向き合ってきたのは弘志だけではなかったのか。
空腹であるにも関わらず、買ってきたばかりのまずいコンビニ弁当は喉を通らない。
(弘志の作ったビーフシチューが食べたい…。)
部屋は食べかけのコンビニ弁当のカラや、ビールの空き缶などが無造作に放置され、悪臭さえ放っている。 下着も換えがなくなり、何日も同じものを身に付けている。片付けようとしても、洗濯をしようとしても、何故か体が動かない。弘志ならちゃんとしてくれたのに、おいしいビーフシチューだって作ってくれたのに…。そんな思いばかりが頭をよぎる。自分だって学生時代も含めると随分長い間一人暮らしをしてきている。それなのにいざ部屋を片付けようとしても、体が動いてくれないのだ。
(私だめになっちゃう… このままじゃどんどんだめになっちゃう。)
体を動かそうとしても、涙ばかり溢れて、自分でもどうにもならない。高い給料をもらっていたので貯金にはまだ余裕があるが、いつまでも無職というわけにもあかない。しかし今更自分に何が出来るのか、もう一度社会に出る勇気が全くなかった。自分の弱さを痛感せずにはいられない。その弱さをカモフラージュするためだけのサディズムだったのか。
(私は美人なんかじゃない。強い女王様なんかでもない。自分一人で生きてきたつもりだったけど、本当は一人じゃ何も出来ないどうしようもなくつまらない女なんだわ。)
本当の自分に気付いたような気がした。改めてドレッサーの前に座っても、この顔はどんな化粧をしてもだめだと思った。
福島の両親の所へ帰ろうかと思ったが、今の美恵にとってはこれも勇気のいることだった。自分の弱さを責めながらの日々は少しずつ流れていく。極力人と目を合わせぬよう、買い物へ出るのも日が暮れてからこっそりと出かけた。午後七時を過ぎると、スーパーの弁当が半額になる、そんな知識もつき始めた。通帳の残高がどんどん減っていくのが無性に怖かった。ブランド物を買いあさっていたかつての美恵とはおお違いだ。夜はちょっとした物音にもビクついて、性格も臆病になっていく。タイトスーツに身を包み、悩ましいまでのボディラインをこれ見よがしにさっそうと歩いていた美恵は、もう見る影もない。
その日も、閉店間際のスーパーで半額の弁当を買おうとしていた。安物のジャージの上下にサンダルをつっかけ、自慢だった長い髪は、ろくに手入れもしていないのですっかりツヤを失い、もちろん全くのノーメイクといういでたちだ。
一番安い弁当に手を伸ばした時だ。