【イムラヴァ:二部】一章:暗雲と煙-9
「ゲオルギウスは、エレンへ至る道を見つけたのだろうか」
「少なくとも、エレンへ行く方法は見つけたのでしょうな」マーセラは、綺麗に刈りそろえられたひげと一緒に口元をゆがめた。目尻や、眼差しの厳しさ、言葉の端々に、彼が嘗めてきた辛酸の名残が現れる。「時間はたっぷりあったのだし……その間に捕らえた我らが同胞達から嫌と言うほど様々なことを聞き出したに違いない。実行に移せるかどうかはまた別の話だが」
「もう一つ、気になる話がある。どうにもきな臭い」マーセラの傍らに居た男が口を開いた。
「気になる話?何だ、ウスル?」アラン達が一様に体を前に傾ける。一方アラニの男達は、皆じっとアラン達を見つめるだけだった。
「この動きをどう見たらいいのか分からないんだが」ウスルと呼ばれた男は慎重に前置きを挟んだ。「ゲオルギウスは直属の軍隊を揃えようとしているらしい」
「何だ?それがどういう……」口を挟んだグリーアを、ロイドが制した。
「エレンの民も徴兵するというんだ」ウスルが言った。
「衣食住の保証付きでな。改宗して軍隊に入れば、報酬も出る。もちろん、処刑もない――しかも、シーであっても問題ないって話だ」ウスルの横に居た男が付け足した。
「馬鹿馬鹿しい。エリンの本土を穏便に略奪するための懐柔政策だ」グリーアが吐き捨てるように言った。
「だが、魅力的ではあるだろう。特に、こちらで生まれた若い世代の者にとってはな。殿下が亡くなった今、すがる希望も、もはや絶えた。養うべき家族を持つ者も大勢いる。耕す畑を持たないクラナドなら、兵役について報酬を得る方がよほど都合が良いだろう……いつまでも森で生きていけというのは、酷な話だ」マーセラは淡々と語った。
「そうじゃな」ロイドも同意した。「確かに、頑なにエレンへの帰還を求める者ばかりではなかろうよ」
「しかし……!」グリーアは食い下がったが、ロイドは首を振った。
「それが事実なのじゃ。時は全てを等しく褪せさせる。悲しみ、憎しみ、そして、故国への思慕も同様じゃ」
アランははらはらしながらこのやりとりを見ていた。
「では、どうなさるおつもりです?」
ロイドは、両眉がくっついてしまうほどに眉をひそめ、炎の核をじっと見つめていた。そこから答えが、陽気に歌いながら躍り出てくるのを待っているかのように。しかし、何も現れては来なかった。
「今は結論を出すまい」ロイドは言った。「このことを皆に伝えよう。今年の篝火祭で、今後どういう動きをするかを、皆で決めよう。このような時だからこそ、早計に事を進めてはならん」
クラナドには、欠かすことの出来ない行事がある。夏の始まりである柳の月の1日に、ヘレンに捧げる篝火祭である。
ヘレンは、エレンの人々にとってもっとも重要な神であり、熱心な信仰の対象となっている。
天光教や国教のような教典を持たず、一つ所で修行を積んだ教父がいるわけでもないため、人々がヘレンのものと信じる神話や伝説、御利益には多種多様なものがある。あるところで安産の守り神である母神は、別の場所では死を司る厳格な老婆の姿をしていることもある。青春と愛の象徴として恋の祈りを聞き届ける時もあれば、心臓を射貫く冷徹な狩猟の女神として信仰されたりもする。その中のどれか一つをとっても、異端だなどと言うことはない。生と死は表裏一体であることを、人々は昔から理解していたのだ。生と死を司るヘレンの名は、発音を変えてエレンの国名となり、エレンの民は、故郷を追われた今も彼女を讃えて、柳の森でかがり火を焚く。