【イムラヴァ:二部】一章:暗雲と煙-7
「赤き戦旗の翻り、曇天に映え、龍は威く吼ゆ、東風食らいて。
浜を塗りつぶすトルヘアの兵ども、キへ至る道を護る者はおしなべて倒れぬ。
敵の軍歌、弥増しに絶ゆることなく、城壁に食らいつかんばかり。
しかして我らが偉大なる王は、グリュプスの翼上にありて大悟徹底の面構え。
今こそ背城せよやと、騎士らを鼓舞した。
騎士らの傍らにある獣らも、眼光炎々と燃え、咆哮あげ決死の勇をふるいたり」
エレンでは、人とクラナドが共に仲良く暮らしていたことは知っていた。しかし、この物語では、エレンの人々が、アラスデアのような怪物とも共存していた事実が語られている。中でも人に従順な怪物は獣と呼ばれ、それは希少だったらしい。獣を扱うことを許されたのは、王族や高位の貴族達だけだった。しかし、どうして怪物たちがいきなり数を増やし、エレンの民にその鋭い牙を向けることになったのだろう。あいにく、この本には真相が書かれていない。何かの変化があったのは間違いないのだが……。とにかくエレンの人々は怪物どもの餌食になったのだ。これも旅の間行く先々で聞いたことだが、怪物たちがおかしくなったのは、エレンが壊滅的な敗北を喫したあの年の初めのことだったという。その話を聞いてからしばらく経ったある日、ふと、1年前に他のクラナドから聞いた、烏を連れてヘレンの洞窟に赴いた黒衣の男の話が結びついた。あの男も、年の初めに現れたと言っていた。ヘレンの洞窟に、一体何をしに行ったのだろうか?この2つのことは関係しているのかどうか、ロイドに聞いたこともあったけれど、はっきりとした答えを得られないまま今に至る。今でも、このことを考えようとすると妙な胸騒ぎを覚える。
「アロス王の剣が空を指すや、曇天は轟々と割るる。
冬の太陽天頂に侍り、我らが喊声を待てり。
いざ、いざや行かん。修羅の只中を、戦塵果つる淵まで。
西方の国、海の彼方はヘレンの御胸へと、共に行かん。
金色なるグリュプス、翼々として軍庭に舞う。
甲冑の閃き、剣の輝き。
神代より連綿と吟ぜられし戦歌の、真の姿ここにあり」
ふと、かすかに言い争う声が聞こえてきた。アラスデアは頭を持ち上げて、声のする方向に向かって目を細めた。洪水のような、止めどないおしゃべりを噤み、耳を澄ませて緊張の糸をぴんと張る。
話の内容までは聞こえないが、スミス家の家長と長男が言い争っているようだ。息子は、父のしようとしていることに反対している。しかし、説得するには至らない。言い争いは、父の沈黙によって打ち切られた。
「嫌な予感がする」じっと黙って耳を澄ませていた後、アランはつぶやいた。
「止める?僕ならできるよ、簡単に」アラスデアが静かに言った。アランは首を横に振った。
アラスデアは頼もしい相棒だが、人の行動を止めることと、人の心臓の鼓動を止めることの違いについて、彼が完璧に理解していると言い切れないのだ。