【イムラヴァ:二部】一章:暗雲と煙-2
野営地から聞こえてくる剣と剣のぶつかり合う音を聞いて駆け出さなかったのは、狩りに出かけた男達の中ではハーディだけだった。男達の手には、狩りの成果が握られている。ウサギや野鴨が沢山とれた。鹿などの大きな獲物は滅多に手に入らないが、困ったことはない。今晩もウサギのシチューがふんだんに振る舞われることになるだろう。大勢で旅をする利点は、沢山の獲物が手に入ることだ。審問官に捕まっていたのを助けた囚人やら、途中で合流したクラナドやら、様々な逃れ者が集まった仲間達。だが、もちろん悪いところもある。慣れない者同士の間に漂う緊張感、小競り合い……そして喧嘩。罪があるかどうかという事と、好かれる人間かどうかと言うことは同じではない。ハーディは、慌てふためいて野営地に戻る男達の後ろ姿をぼんやりと目で追った。あそこで何が起きて居るのかは予想が付く。いつもそうだもの……
アランと共に旅をするようになってからの1年の間、ずっと。
野営地に着くと、思った通りアランと元囚人の男がお互い剣を振り回していた。とは言っても、新顔の身のこなしは優雅さとか、そもそも余裕に欠けている。対峙している相手がアランなのだから余計に際だつ。
「そんなに怒ることじゃないじゃないか。えーと、マイルス、だったっけ?」男は答えない。それどころではないのだ。渾身の力を込めて剣を振り下ろしているのに、何故、一向に手から剣をはじき飛ばすことが出来ないのか不思議がり、同時に苛立っているようだった。
「女子供に手を挙げるなんて、まともな男のすることじゃないと言っただけだろ。いや、悪かった。あんたの顔を見りゃ、そんなことくらいわかって当然だった。わざわざ口に出した私が悪かったよ!」
彼――いや、彼女と言うべきか、とにかくアランの剣捌きからは、1年の時を無駄にしなかったことがよくわかる。とは言え、哲学や古典に関する彼女の興味関心はかなり薄い。グリーアと剣の稽古をしている時と、ロイドと古典の名文を暗唱している時を比べてみればいい。どちらをより楽しんでいるか一目瞭然だ。まぶたの開き具合からして違う。そんなわけで、アランが剣術の実戦の場として、この喧嘩を楽しんでいるのは間違いない。
顔を真っ赤にして、棍棒さながらに剣を振り回す男は、昨晩自分の武勇伝を声高に語っていた。曰く、森で出会ったトルヘアの兵士を何人も殺してやったとか何とか。その話が本当ならば、トルヘアの兵士がよっぽど未熟だったか、あるいは単に、マイルスには兵士と子豚の区別が付かないかのどちらかだろう。異端審問による処刑はいつだって理由のない理不尽な罪状によるものだったが、この男には、少なくとも捕らえられる理由があるようだった。助けたことを後悔する、とまではいかないが。鼻つまみ者はどこにでもいるものだ。
アランは力任せの攻撃を上手く交わして、致命的な隙が相手に出来るのをじっくりと待っていた。剣に頼って相手の攻撃を受けるのではなく、剣を中心に自分が動くのだ。身体が小さく、体重の軽い彼女にとっては効果的な戦法だった。
「お前の体重では、相手の体の一部を叩き切るのは難しい。だから、全身を使って突き刺すことを覚えるのじゃ」ロイドの教えは彼女の体にすっかり浸透している。こと剣術に関しては、アランは海綿のように教えを吸収するのだ。「重い武器を使えば、その自重で腕くらいは奪えるかもしれん。だが、重い武器は体力を奪う。お前の機敏さを生かして、軽くて丈夫な獲物で適所を貫く方が効率がよい」これが古典だったら、そうはいかない。時々ハーディは、古文をつかって剣の稽古をつければ良いんじゃないかと思う。
重心を巧みにずらして踊るように動き回るも、アランは顔色一つ変えていない。片眉だけ相手を挑発するように上がっていた。ハーディはやれやれと肩をすくめて、かついでいたウサギを地面におろした。