【イムラヴァ:一部】第十三章 鷹の娘-4
「北の砦のそばの?」ボーデンが聞くと、ハロルドはゆっくりとうなずいた。記憶が頭からこぼれ落ちないようにしているかのように慎重に。
「私の叔母が、そこの砦で料理番をしてたわ」オードリーも、会話に加わった。「そこの砦の兵隊と結婚して、子供が生まれる予定だったそうよ。母はその人に会いに行くって約束したきり……それっきりになってしまったって言っていたわ」潤んだ目が、燃えるたき火をじっと見つめた。
「クナトと言えば、ずいぶん北の方だろう」ボーデンは酒の入った杯にちびりと口をつけた。「よく、最後の船に間に合った」
「クナトって、イニス・ブレンのすぐ近くよね」メリッサがおずおずと聞いた。ワイアットが、山猫のひげをぴくっとふるわせる。「ああ、ブレンの島に一番近い。それに、ラグナンヘルのすぐ側だ」聞いていたクラナド達がわずかに身じろぎした。
「ラグナンヘルって、何ですか?」アランが聞いた。何人かが驚いたように彼女を見たが、答えようとはしなかった。たき火のはぜる音が響く中、アランはまずい質問をしたことに気がついた。しかしロイドが、しばらくの沈黙の後低い声で彼女の問いに答えた。
「ヘル……つまり、ヘレンの洞窟、と言う意味でな。伝説にある不死の国とも、死者の島とも呼ばれておる。死んだ者達が赴く島で、生きている者は滅多に近寄らん」そこで、声が掠れても居ないのに咳払いをする。「エレンを襲った怪物は、その洞窟から現れたのだといわれておる」
「そうなの?ワイアット」物怖じしないハーディが、単刀直入に聞いた。「ワイアットのお父さんとお母さんは、その洞窟から怪物が出たのを見たの?」
「まさか」ワイアットが控えめに笑った。「そんなところを見てたら、今頃、俺たち2人とも生まれてねえって」彼はオードリーの膝に優しく手を置いた。
「正直な話」ワイアットは大きな肩をすぼませた。「あんな事が起こるだいぶ前に、ほとんどが村を出たんだ」
「どうして?」ハーディは、エレンの事に関してはアランよりも少し勝っている程度の知識しか持ち合わせていない。少年は興味津々でこの話に聞き入った。
「その年のはじめ、村によそ者が来たそうだ。すぐにそいつは姿を消したが、その頃から村に――渡り烏が出始めてね」クラナド達の表情が――ハーディまでも――陰った。身震いするものまでいる。アランは一人ぽかんとしながらその様子を見ていた。
「渡り鳥が出たら、村に良くないことが起こる。だから、そう言うことに敏感な連中は、さっさと荷物をまとめて家を出たんだ。俺達の両親がそう言うことを気にする質で運が良かった」
「どうして?渡り鳥なんて、普通にその辺にいると思うけどな」アランが聞いた。渡り鳥が不吉な鳥であるとしても、農民が自分の畑と家を捨てて村を出るなんて、いささか迷信に過敏すぎるのでは、と思ったのである。
「2、3羽なら、見かけることもあるだろうがね、その時は千羽ぐらいの渡り烏が、海の向こうの空を覆っちまってたんだってよ。ちょうどブレンの島があるあたりの空、一面をね。あの時の怖さったら、後で親父から聞いた話だけでも充分想像がつく」これにはみんなが身震いした。確かに、それは不気味な光景だっただろう。
「私たちの両親はね、小さな頃から、渡り烏が出たら村を捨てて逃げろと教えられてきたのよ」オードリーが、小さな手を握りしめた。「でも、どうしてそういう風に言われるようになったのかは知らないわ」
「長は、そう言う話を知ってるんじゃないですか」ハロルドが言った。残り少ない酒を、手のなかの杯の上でくるくると転がしている。