【イムラヴァ:一部】十二章:アラスデア-6
「どちらも、傷を腐らせない良い薬になるのよ」彼女は薬を塗り終わると、案の定水遊びを始めたハーディを見て、やれやれというように首を振った。口元には笑みが浮かんでいたが、決してとけない霜に覆われているかのように、表情から悲しみの色は消えなかった。彼女が心から笑い声を上げることはないだろう。少なくとも、この放浪生活が終わりを迎えるまでは。
「でも、あなたが居なかったら、この薬を使う事も出来なかったわね」
「私は、私に出来ることをしただけです」アランは言った。「それに、みんながみんなそう思っているわけではないようだし」
メリッサはちらりと後ろを見た。グリーアは、洞窟での一件以来一度もアランと口をきこうとしない。お互い聞きたいことが山のようにあるのにもかかわらず、怒りと不信感が言葉を交わすのをとどめていた。
「根はいい人なのよ」メリッサは、困ったようにほほえんだ。「ただ、頑固なの。気にするのはやめなさい。そのうちあの人も意地を張るのに疲れてしまうから」
アランは、木によりかかっているグリーアを見た。
「彼もクラナドですか?」
メリッサは首を振った。「私は知らないわ。シーじゃない限り見た目ではそうとわからないし、彼は仲間内でも滅多に自分の話をしない。でも、私たちの中で一番長く長の側にいる人だから……」
ふうん。だから、警戒する必要はないと言うことか。アランは思った。問題の男は、どこかで拾った木の棒を、小刀で一心に削っている。多分、弓か何かを作るつもりなのだろう。見た目ではクラナドかどうかわからないかも知れないが、彼がアランに敵意を持っていることは誰にも一目瞭然だ。しかし、彼は他の仲間達とも距離を置いている。ロイドは彼のことを信頼しているからこそ側に置くのだろう。それでも、この逃避行の間中、グリーアに話しかけようとする者は居なかった。それをわずかな慰めとして、アランはこの緊張状態をやり過ごすことにした。
日が暮れるまで、そう時間はかからなかった。真上から差し込んでいたまっすぐで強い木漏れ日は徐々に傾き、最後にはぼんやりとした日の残滓だけが残った。水と火と、男達がとらえた魚で、戦場から逃げてきて以来初めて人心地が付いた。皆は、海に沈む小石のように深く、静かに眠りに落ちた。グリーアでさえ、気むずかしそうな寝顔で久しぶりの眠りを享受している。アランも疲れていた。出来ることなら泥のように眠りたかったが、出来なかった。この数日の内に起こったことを一人で考える時間が必要だったし、そうしないうちに眠ることは出来そうになかった。彼女の隣には、彼女を守るように、あの獣が横たわっている。
「起きてるか?」アランは小さな声で言った。
「うん」帰ってきた声は、低いとも高いとも言い難い、不思議な声色だ。ただ、若いと言う印象はたしかにある。どうやらこのグリフィンの声は、アランにしか聞こえないようだった。他の者達もアラスデアの鳴き声を聞くことは出来るが、人と同じ言語で話している時の声も、獣の鳴き声の音として耳に届いているという。言葉の通じない相手に、一人で話しかけるのは、普通の人の目からすれば少々変に映るだろう。アランが彼に話しかけるのは、もっぱら夜だった。