【イムラヴァ:一部】十二章:アラスデア-5
「川だ!」彼女の声に、うつむき加減で歩いていた仲間達が顔を上げた。「あそこで休憩にしよう。夜を越しても良いな。ここまでくれば、もう追っ手は来ないだろうし」
「よかった」ウサギのディーン・バークレイが、心底ほっとした声を出した。「あと少しでも歩いたら、怪我で死ななくても、疲れて死んじまうとこだった、足が棒きれみたいだ!」同意の笑い声があがる中、不安げに後ろを振り返ったのはオードリー・スノーデンだ。
「でも、追っ手は来なくても、やつら、森を焼くかも知れないわ」結婚によって山猫となった彼女は人間だが、夫のワイアットは山猫の顔を持っていた。
「その心配はないでしょう。たしか、コルデンの森からかなり広い範囲が、御料林になっていたはずだから」
「御料林?」ワイアットが興味津々の顔で聞いた。
「つまり、王の持ち物になっているということです。木も、そこに住む動物も、王がそう決めた場所は、全部御料林です。勝手に木を切ることさえ許されないんだ。火をつけるなんて考えもしないでしょうね」アランは、森を焼けないことを悔しがって地団駄を踏むあのシプリーの男の姿を想像して、こっそりほくそ笑んだ。どのみち、2日でかなりの距離を稼いだ。森を焼いてもここまで火が回ることはまずないだろう。
「森を自分のものにするなんて、ばかげた考えだ」ディーンが鼻で笑った。「木一本だって自分の思い通りになることはないんだからな。おれのじいさんがエレンでやってた果樹園の話、したっけ?」
「二百回も聞いたよ」ボーデンがうんざりと言った。「ああ、川が見える!」
実際、彼らが川と思っていたものは、一番深いところでも膝までの高さしかない浅瀬だった。しかし、後で渡る際にはその方が都合が良い。浅瀬の水が澄んでいて、見た目にも良い清涼剤になった。彼らが浅瀬のほとりに足を止めると、向こう岸に大きなイチイの木があった。かなり大きな木で、人が3人ほど入れそうな大きなうろができていた。よく見ると、その中に大きな石の塊がある。ツタが絡まって、はっきりとは見えないが、おそらくは何かの石像だ。近くで見るのは後回しにするとして、アランはロイドが馬から下りるのを手伝った。落ち葉が積もった腐葉土は柔らかく、輝かしい夏の足音に揺り起こされた下生えが、様子をうかがうように、頭を地面から覗かせていた。皆が思い思いの格好で存分に休息をとるあいだ、アランはロイドの怪我の様子を見ることにした。
「脚はどうです?」包帯をほどきにかかる。すでに出血は治まっている。
「上々だ」ロイドは口ではそう言ったが、痛みがないはずがない。丸1日ぶっつづけで馬に揺られたのだ。痛みも相当に違いない。
「ぼくがやる!」包帯をすべて取り終わると、側仕えのようにアランの傍らで待機していたハーディが、包帯を持って川へ行った。血の付いた包帯を洗いに行ったのだ。
「あのおちびちゃんはすっかりあなたに夢中ね」メリッサ・ロスリンは、先の襲撃で夫を亡くした女性だ。苦労の絶えない年月の足跡がその顔にくっきりと刻まれていたが、今回のことでそれが余計に際だっていた。彼女は草花に通じていて、その薬効についても熟知していた。コルデン城にも薬草園はあったし、薬草でイアンやアガサがよく煎じたり軟膏を作ったりしていたが、アラン自身は、そこいらに生えている草花を傷口にすり込んだところで、そんなのは気休めに過ぎないと思っていた。しかし、メリッサが長い放浪生活の間に集めた草花で作られた薬は、確かに効いていた。ロイドの脚の状態が、それほど悪化していないのが何よりの証拠だ。それに、傷口にあてがった蛆も効いたのだろう。蛆虫は至極一般的な治療法だ。正しい――膿んでいない健康な肉を食い尽くしてしまわない種類のもの――蛆を選べば、傷口の膿みを取り除いてくれる。アランも一度だけその治療法を試したことがあった。はじめの頃はくすぐったいし、何より気持ち悪くて仕方ないが、我慢する価値はある。メリッサはノコギリソウとニンニクの軟膏を、ロイドの脚にそっと塗った。