【イムラヴァ:一部】十章:傷ついた獣-3
「グレンのあの昔話、覚えてるかい?あの、森に出る幽霊の話」ウィリアムは声を落として聞いた。アランはうなずいた。馬の蹄のリズムと、この耐え難い沈黙から気をそらしてくれるものなら何にでも飛びついただろう。
「ああ、覚えてる。妙に頭に残ってるんだよな、あの話は」
しかし、会話は途切れた。妙な気まずさを感じて、アランはウィリアムを見た。
「この間は、何をしていたんだ?あんな時間に」
「え?」アランは沈黙よりももっと気まずい質問にたじろいだ。その質問をされるのが嫌で、今まで避けていたのだが。「ああ……ちょっと」
「ちょっと、何?」
「何だって良いだろ」アランは憮然と返した。「女に興味を持つのがそんなに悪いことか?」
その言葉が嘘だと知っていなかったら、ウィリアムは恥じ入ったことだろうが、そうはならなかった。その代わり、笑い出したいのを必死でこらえなくてはならなかった。なんとまぁ、上手い嘘を考えたものだ。
「悪かった」ウィリアムはまじめを装って言った。妙にぎこちない沈黙の後、今度はアランがウィリアムに聞いた。
「そう言えば、あの男はどうなった?」
「死んだよ」ウィリアムは素っ気なく言った。
「そう」アランは思わずまじまじとウィリアムの顔を見た。小さな頃は、ウサギを狩るのにも躊躇っていたというのに。「あの男の他に、もう一人いなかったか?暗がりからこっちに声をかけて……おかげで助かったんだ」
「いや、知らないな……あの後は大騒ぎになったし、城の者も大勢出てきて、誰が誰だかわからなくなってしまったから」
「そうか」アランは身震いした。
あれから何度となく、ウィリアムは考えた。自分のしたことは間違っていたのだろうか?いや、間違いなどではない。必要なことだったのだ。それでも、今、あの男がアランを救おうとしたことが事実だと裏付けられた。それは分かっていた。本当は。それを分かっていたその上で、ウィリアムは彼を牢獄に送ったのだ。コルデンの隠し牢に入ったものは二度と出る事はできない。あの男がアランを連れ出すことは出来なくなった。ここまでした責任をどうとる?全てアランのためを思ってしたことだ。それなら、彼女を最後まで幸せにする責任があるはずだ。
「アラン、話があるんだ」思い詰めた表情で、彼は馬を止めた。
「はは、城に帰ってからにしろよ。それとも腹を下したのか?なら一刻を争うな。馬を止めないと」からかうアランに、ウィリアムは言った。
「冗談ではないんだ」さすがに、アランも口を閉ざしてウィリアムを見た。「大事な話だ」
「ああ、わかったよ」彼の雰囲気に気圧されて、アランは柄にもなくまじめに返事をした。「でも――」
「静かに!」その時、先頭を行くロバートが急に立ち止まり、会話をやめさせた。
かすかな角笛の音がする。敵と遭遇したのだ。アランは、重苦しい雰囲気が消え去り、緩みかけていた気持ちが笛の音に引っ張られてぐっと引き締まるのを感じた。
「西だ!」ロバートが言った。「そう遠くはない」一行が西に馬の首を転じ、小走りで進むと、修道騎士が角笛を吹いて、先ほどの笛の音に返事をした。すると、森の至る所から角笛が聞こえてきた。じきに、すべての兵士を交えて、悪魔との戦いが始まる。アランは、自分の胃が、拳半分ほどに縮まったかに思えた。