【イムラヴァ:一部】六章:卵-2
最近はこれが意外と楽しくなってきていた。
「本を持って歩くお前の姿を見ることになろうとは」城代は絶句した後でそう言った。アガサ婆は、目に涙を浮かべてアランを見た。まあ、しかたがない。自分自身ですら驚いているのだから。意味のわからない言葉はあるが、そういう言葉は、口に出すことで響きのおもしろさを感じることが出来た。たとえば、敬神孝養。意味については、精神高揚と似たようなものだろう。
アランは、読み終わった本を片手に、書斎のドアをノックした。それから今夜は領主が出かけていることに気がついた。兵士を率いてこの城に到着する予定だった、ラシックの領主の馬車が、村の外れで壊れてしまったというので、領主が泊まっている宿屋まで出かけていったのだ。ラシックの領主リンガーは、腰に持病を抱えていて、馬車に乗らなければどこへも行くことが出来ない。しかも運の悪いことに、その馬車というのが特注のものだった。腰に負担をかけないよう、柔らかいバネとたっぷりの綿で作られた座席に加え、巨漢の領主を乗り降りさせられるように、特殊な仕掛けがあつらえてあるらしかった。それでも、明日に控えた悪魔討伐作戦の会議をしないわけにはいかない。なので、今夜の会議はその宿屋で催されることになったのだ。そのことを憎々しげに語る領主の顔!悪魔より先に、村中の食肉を一掃したいと思っているような顔だった。思い出すと、不謹慎ではあるが笑みがこぼれてくる。
ドアを開けて中に入ると、いつもながら圧倒されるほど沢山の本があった。かつて部屋の左右の壁は、すべて本棚と本で埋め尽くされていた。しかし、先日の検閲があってからは、棚にも空白が多く見られた。
「お前が本を読みたいだと?どんな冗談だ、それは?」ヴァーナムまでもが最初は笑った。しかし、その情熱が気まぐれによるものではないとわかると、アランが読みやすいような本を薦めてくれるようになった。今回アランが選んだのは、その昔、国から国へと旅していたチグナラと言う人々が、迫害をうけることがなかった頃に書かれた本だった。城に訪れて歌を聴かせた旅芸人のチグナラが歌った歌を書き残したものだ。歌や物語を記した本の中では、おそらくこれが、運良く先の検閲の目を逃れられた、たった一つの本だろう。アランはそそくさと部屋を退出して、卵の待っている部屋に向かう。ひと時でも卵から離れていたくなかった。それを自分で奇妙だと思うこともないほど、卵に夢中だった。そうだ、この本を読んでやれば喜ぶかもしれない。知らない歌でも、適当に旋律をつけて歌ってやれば、きっと喜ぶに違いない。
「アラン」そんな調子で考え込んでいたものだから、廊下の途中で呼び止められても、一度では気づかなかった。
「アラン!」
「わあっ!」いきなり肩をつかまれて危うく本を落としそうになった。怖い顔でアランを見下ろしていたのはウィリアムだった。
「な、何だ、ビリー。どうした?」怖い顔、と言うより、思い詰めた顔といった方が正しいかもしれない。彼はじっと彼女を見下ろした。
「ウィリアム、言いたいことがあるなら言ってくれ」つっけんどんに言った。「急いでるんだ。早く部屋に帰りたい」
「討伐隊に加わる気なんだろう?」唐突に言われて、アランは面食らった。
「もちろん。国教徒じゃないってのは当然秘密にするけど、これを逃す手はないだろ?何でそんなこと聞くんだ?」
「ここのところ……君の様子は変だ。討伐は狩りや訓練とは違う。そんな調子のまま行けば……」ウィリアムを遮っていった。