【イムラヴァ:第一部】三章:春は幾度もめぐり来る-1
第三章 春は幾度もめぐり来る
森を海に例えるならば、この世界に数多ある村や町は島だ。島の中での情報交換がいかに盛んでも、外界からの頼りは限られる。手紙を書こうにも、相手に届くまでに長い時間がかかるし、返事が返ってくるのにもまた同じかそれ以上の時間がかかる。村人のほとんどが、自分の村以外を知らない。商売や戦争で、別の村や国へゆくものも居るが、村から外へ一歩も出ることなく生涯を終える方が普通だ。
そんな彼らに、よその村では何が起こっているのかを教えてくれるのが、旅人や旅芸人、そして鋳掛け屋達である。しかし、宿場町でもないユータルスに訪れる旅人はそういないし、旅芸人も、この頃は余り見かけない。しかし、鋳掛け屋は、天候が穏やかな春から秋の間は頻繁に訪れる。彼らは定住せず、大きな所帯と、それが収まる大きなテントを持って、村から村へと渡り歩いては、不要な洋服や作物と引き替えに、包丁を研ぎ、馬具や鍋を修理してくれる。また、頼めば使わなくなった金物から、ちょっとした装身具を作ってくれることもある。
冬の嵐が特に厳しいこの地方に春を告げるのは、草花や雲だけではない。春が来ると、鋳掛け屋達は、閉ざされた門が開いたとでも言うようにどっと村に押し寄せる。実際、雪の降る季節、森に住む熊や狼に襲われたり、道に迷う危険を冒して村にやってくる客は居ない。だから、雪が解けたこの時期のユータルスは、鋳掛け屋達にとって恰好の商売場所だ。
そして今年も、鋳掛け屋の第一団がやってきた。
この村では、一番最初に村にやってきた鋳掛け屋は必ず城のすぐ近くにテントを張ることになっている。普通なら、城にはお抱えの鍛冶職人が居る。剣を鍛えたり、鎖帷子を作らなくてはならないからだ。城の中の用事は彼らが居れば事足りるが、農具や台所の金物、そして、鬱憤を限界までため込んだ下働き達にとって、鋳掛け屋は救世主だった。鋳掛け屋の一家の紋が入ったテントが広がるか広がらないかのうちに、城のあちこちから、包丁や鍋を持った大勢の下働きが出てきて、テントの前に行列を作った。そうなれば、鉄床の音が鳴り止まない内は好きなだけうわさ話に花が咲くことになる。
鋳掛け屋のルーカス・テレルは、鉄床の鳴り響く音にも負けないくらい声の大きな男だ。焼けた肌は日に当たった木の幹のような色をしていて、頭の上には火の粉が燃え移ったのかと見紛うほど赤い髪の毛が乗っていた。テレル一家は、いつも一番乗りで村にやってくる。今ではそれが決まり事のようになっていて、テレル一家の、焼けた火鋏の紋章が城の前で翻ると、村人達が「さて、もうじき他の鋳掛け屋も到着するぞ」と噂するような具合だった。そんなわけで、今年も村の空き地の一番良い所にテントを張るのはテレル一家だった。
アランとウィリアムは、夕飯を済ませると、すいている夜の時間を狙って早速一家のテントに向かった。誰かに見つからないように、二人は黒い外套を羽織って外へ出た。大人達に見つかったら、こんな時間にどこへ行くのかとさんざん問い詰められたあげく、領主からきつく灸を据えられる羽目になる。ヴァーナム・マクスラスは公平で、優しいひとだし、アランも彼のことを父親のように慕って居た。しかし、とにかく規律には厳しい人だったので、見つからないようにこうしてこっそりと庭に出なければならないのだ。
「ビリー、何を持ってきた?」アランが聞くと、彼は小脇に抱えたかごにかけられた布巾を持ち上げて中を見せた。中には夕飯で出た丸パンが入っている。二人からルーカスへのちょっとした授業料だ。
「僕も持ってきた」アランはポケットに入れておいたリンゴを、ウィリアムの籠の中に入れた。
「どこから盗んだの?」
「盗んだ?人聞きの悪いこと言うなよ。もいできたんだ」
ウィリアムがアランを肘で小突いた。「嘘だ、まだ花も咲いてないじゃないか」
すると、アランはふざけた顔で「食料番の手から、必死の思いでもぎ取ってきたのです。ウィリアム坊ちゃま」そう言って、領主の息子にお辞儀をした。