短編集-6
「ピース・オア・ギア」
彼が彼女を失っても、彼の世界は滞る事なく、当たり前のように廻り続けた。一ヶ月が経ち、二ヶ月が経った。彼はその間に定期テストを受けたり、友達と談笑したり、文化祭のステージでバンドをやったりした。のんきだった。気ままだった。彼女が居なくとも、彼の世界は自然に廻った。廻す事が出来た。
彼は思う。彼女は自分にとって日常という名のパズルの「ピース」にすぎなかったのだと。決して彼の世界を廻す「ギア」の一つにではなかったのだと。彼女がもし自分にとって「ギア」だったのなら、世界はその瞬間に自転する事をやめただろう。しかし彼女が「ピース」だったから、自分は残りのピースを組み合わせ、欠けた部分を他のピースで補ったのだ、代わりは幾らでもあったのだ、と。
彼はそんな思考を幾度となく繰り返した。胸にある一つの小さな空白は、無視した。
三ヶ月が経ち、四ヶ月が経った。彼の世界の自転は彼女が居なくとも可能だった。
彼はその間も気ままだった。自由だった。胸の中の空白が徐々に大きくなるのを感じながら、それでも彼はのんきで居た。
月日は更に進み、彼が高校を卒業し、大学に入学して、しばらくの事だった。
ただ目についた。それだけの理由で彼は卒業アルバムを開いた。何の気なしに開いたページの、何の気なしに見た最初の一枚だった。
そこには、桜のような笑顔をした彼女が写っていた。そこで永遠に時の止まった彼女が。
涙が彼の頬を伝い、落ちた。彼は気付いた。ずっと前から、彼は気付いていた。彼女はギアだった。自分の世界の中心を廻していると言っていい程、大切なギアだったのだ。自分はただ怖かっただけだ。彼女を失ったという事実が怖かっただけだ。だから、彼女をピースだと思い込んで、止まった世界から目を背けた。幾つもの涙が落ちた。堰を切ったように溢れ出したそれは、彼の彼女への思いだった。
ずっと溜め込んでいた、いつも詰め込んでいた。失った彼女への感情を、心の底へ強引に、しかし確実に。それをする為には自分の感覚を自覚出来る程鈍感に、のんきにしなければ出来ない事だった。そうしなければ彼は壊れてしまっていた。それを本能的に知っていた。
彼の世界は自転を止めた。目を背けていたギアの無い世界を正面から目の当たりにした。何も感じなくなった。彼の世界は止まったのだ。
涙を拭い、彼は部屋の窓を開けた。アパートの三階からは街並みがよく見えた。
どこからやって来たのか分からない桜の花びらが、彼の目の前を通り過ぎ、落ちて行った。
分かってる、今行くよ。
一階のコンクリートの上に落ちた桜に、窓から身を乗り出して手を伸ばした。
そして、彼の体は。