カコミライ (3)狡い兄-5
気が付けば一緒にいた友人と別れ、後を追い掛けていた。
その人はふらりと足を止め、店に入っていく。それに続いて、普段一人では足を踏み入れることのない大衆居酒屋へと足を進める。
入ってそんなに時間が経っていないのに、その人は完全に潰れていて。カウンター席にポツンと佇む丸まった背中に声を掛けた。
この人と近づいて話せば、少しは彼女の気持ちも分かるかもしれない。
そんな思いを胸に秘めながら。
『あの』
『……ん、ぅ?』
『隣良いですか?』
それからこんなことになるなんて、その時の私には想像もつかなかったけれど。
◆
「喧嘩」
「え?」
「喧嘩をね、してたのよ」
現実に引き戻すように、美嘉さんが呟いた言葉に私は驚きを隠せない。だって、兄にそんな素振りは全くなかった。
「事故の日一緒にいましたけど、兄はそんなこと何も言ってませんでした」
「些細な口喧嘩だったもの。きっと数日もすればどちらともなく謝って、それでおしまい。そんな軽い喧嘩だったの」
些細という単語にホッとすると同時、凛とした口調が続ける。
「でも、どんなに小さな喧嘩でも謝ることは出来ない」
断言だった。そしてそれは事実だ。確かにどんなに些細なことであっても、もう謝ることは出来ない。
「コー君はズルいよね。私の写真を握ってサヨナラなんてズルい」
そのまま美嘉さんは弱々しく微笑んだ。水分で潤んだ瞳は、照明の光を受けて揺らめいている。必死に泣くまいとした姿は脆くて、触れたら壊れてしまいそう。
喉まで出掛かったありきたりな慰めの言葉を、口を噤んで飲み込んだ。きっと声を掛けるべきなのは私ではない。
読みは違えど名前の通り海のような深い愛情で、美嘉さんを支えた人。海じゃなきゃ駄目なんだ。
不意に美嘉さんが「海を利用してる」と告げた姿を思い出す。海への恋愛感情を認識した今、チクリと胸に刺さる言葉だった。
「海を利用してるっていうのは本当ですか?」
思わず固くなった表情で訊くと、美嘉さんは少しだけ間をおいてから答えた。