長い夜 3-8
そのあとは食を勧められながらも、遼子の仕事の話を佐伯に質問されるままに答えては、日頃のストレスや不安もうまく引き出されて自然な形で相談に乗ってもらい、聞いてもらえたことでずいぶん気が軽くなった。
遼子は佐伯のことこそ知りたかったのだが、何を質問していいのかそれすらも分からなかった。何でも知りたい、だけど何でも聞いていいとは思わなかった。そこのところは遼子も大人の分別を持っていた。ただ、佐伯と二人でいることがそれだけで夢心地だった。
女将は近江、滋賀の出身らしい。さすがに近江牛のすき焼きは絶品だった。近江米と共に出された京野菜の香の物も美味だった。
佐伯も遼子も満腹に満足して店を出た。
「あの、私、お礼にご馳走させていただきたいと思って来たんですけど・・」
遼子はそのつもりで少し多い目に用意してきたのだが、まさかあんな高級料亭に連れられるとは知らずに、少し不安げに言った。
「ははは、気持ちだけ頂いておきましょう。それより、チーフになったお祝いとしてご馳走させてください。」
「すみません。ごちそうさまでした」
年齢も経済力も太刀打ちできないのはわかっていた遼子は、素直に甘えることにした。
店を出るとタクシーをひろった。
佐伯は事務所に寄りたいので、そこで降りるから、遼子にそのまま車を使うようにと言ったが、遼子も一緒に降りたいと言い、二人で降りることになった。
誰もいない静まり返った事務所のドアをあけると佐伯は電気をつけた。
「寒いでしょう?用はすぐに済むから、暖房入れないけどいいかな?」
「はい」遼子はデスクに向かう佐伯の背中を見ながら、初めて佐伯に会った日を思い出していた。遼子が横になっていたソファに腰掛けて、周りを見渡した。
佐伯によく頑張ったなと頭を撫ぜられた。あの時の陶酔するような安心感を思い出していた。
引き出しから書類のはいった封筒を持ち出すと佐伯は戻ってきた。
「お待たせ」
向かい合ったとき、遼子は言った。
「佐伯さん、お願いがあるんです。」
「なんだろう」
「ハグしてもらえませんか?」
遼子は自分の言葉に自分でも驚きながら、しっかりと佐伯を見据えた。
「酔ったの?」
「いいえ、酔っていません。ハグだけでいいんです」
遼子の真剣なまなざしに、佐伯は近づくと書類封筒を持ったまま、両腕を遼子に回して、抱きしめた。