長い夜 3-6
「おいでやす」
「あの・・佐伯さんは・・」
遼子は予約しておくと云った佐伯の名前を出した。
「へぇ、伺っておりますよってどうぞこちらへ・・・」
関西なまりの柔らかなもの言いの女将は、廊下を行き当たり、また、左に曲がって渡り廊下もつき当たった離れの個室へと遼子を案内した。
「佐伯はんは、まだ来とうおくれやないですけど、すぐに来はりますやろよってお待ちになっとおくれやす。今、お茶をお持ちしますよってに」
女将は遼子に座布団を勧めると、障子を閉めて出て行った。
六畳ほどの落ち着いた和室の床の間には生花が生けてある。反対側の障子が大きく開かれていてガラス戸の向こうには美しい日本庭園があった。こんな都会にこんな場所があるとは遼子は知らなかった。
こうして、この場に座って庭を眺めていると、どこか遠くに旅して来たかのような錯覚にとらわれる。
「お待たせしました」
佐伯が障子を開けて入ってきた。いつものスーツ姿とは違っている。カジュアルなジャケットを脱いでハンガーに掛け、マフラーを外すとVネックの薄いセーター一枚だ。
引き締まった身体は年齢を感じさせない。身長も180とまでは行かなくとも、それに近いはずだ。均整の取れた体型だが、胸板が厚い。ガッシリとした胸はスーツの時は隠されているのだと遼子は思った。
遼子の向かいに胡坐をかいて座ると、女将も入ってきた。
「佐伯はんも隅におけまへんなぁ、こんな、かいらしい(可愛いらしい)娘さんとおいでやなんて・・」
お茶を出しながら女将が冗談めかして言った。
「そうでしょう?見直していただけましたか?」 冗談に合わせるように佐伯が答えた。
佐伯は女将にいつものを、とだけ言って、女将も心得た様子で部屋を出た。
準備されたのは鍋の用意で、丸い鉄鍋が熱せられる。
栓を抜かれたビールを最初に佐伯に注いだのは女将だったが、そのビンを女将から取って、遼子に勧めたのは佐伯だった。
「お疲れさま、飲めるでしょう?」
遼子は両手でグラスを差し出して、佐伯の注ぐビールを見つめた。
熱くなった鍋に油の塊が置かれ、ジューと煙を上げながら鍋全体に布かれる。
そのあと、美しい霜降りの高級そうな牛肉が大きいまま二枚広げて布かれる。
肉の焼けるいい匂いが空腹を刺激する。割り下といわれる甘辛の醤油タレが流し込まれるとあわ立つように一気に肉が踊る。ほんの瞬時に食欲が倍増する。
「どうぞ、もうすぐに上がっておくれやす」
女将が勧めると同時に、佐伯はすでに卵をといて万全の体勢で肉を引き上げた。遼子も遅れを取らないように慌てて卵をかきまぜ、肉をつまむ。
卵にさっとくぐらせるとほおばってみた。あまりの大きさに一口では入りそうにないが、歯切れもよくスッと噛み切れた。