リバーシブル・ライフ-6
「楽しかったな、ハル」
ありがとう、一緒にいてくれて。
耐え切れず、涙が溢れた。
震える手で、脊椎を通る管を掴む。
「もう、終わりでいいか?」
知らず、ガチガチと顎が鳴る。
ひとを殺す、ということ。その恐怖。確かに、それはある。
ひとと別れる、ということ。その寂しさ。
感情は混ざり合い、もはや区別は出来ない。
ひとを救う、ということ。その勇気。決断はしたはずだ。
だから、
だからこの管を一気に引き抜けばいい。
「ああぁぁ」
ハルは、歓喜の表情を浮かべる。
その眼からは、やはり涙が流れている。
春は、もう来ないけど
僕らはいつでも会える。
心のなかで
夢のなかで
記憶のなかで
時を遡り、僕らは何度でも巡りあえる。
そうだろう?ハル。
僕は眼を閉じ
右手に力を込めた
―― ありがとう
!?
不意に聞こえた、その形を持った響に、僕は動きを止めた。
確かに聞こえた。懐かしい声。
かたかたと腕が震え、彼を救うはずの右手に力が入らない。
くそ!くそ!
「動けよ、動け!」
友が見ている。己を殺す様を、目を逸らさず見ている。だから僕は、だから僕が、彼を解き放たなければならないのに・・・!
意志に反して、ピクリともしない腕。
泣きながら叫ぶ。ハルは、その姿を見ている。
「うぅぅ」
悔しそうに、彼の口から漏れる音。
どうして殺してくれないの?涙に揺れる彼の眼は訴える。
僕の頬を伝い落ちた、一粒の雫が、ハルの眼球に染み込んだ。
「う、あああああああああ」ハルは叫んだ。
僕の硬直した体は、その声に押され、後退りをした。
「あああああ」叫びながら、ゆっくりとハルは右手を振り上げた。
まるで奇跡だった。
動くはずがないのだ。
――― 抜け殻が意志を持つなど
血走った目からは滝のように涙が流れている。
言葉にならない言葉は世界を黒く塗り潰すようだ。
「あああああ」抗うように動かされた手は僕が引き抜こうとしていた管を掴んだ。
壮絶な光景だった。
「春樹くん!春樹くん!」
廊下からは看護婦が走り寄ってくる音が聞こえた。
僕は咄嗟に傍にあったテーブルをついたてにして外界を遮断した。
きっと彼女たちはとめるのだろう。
ハルがそれを望まないとしても。
この奇跡を無駄にはさせない。
ドンドン
ドアが叩かれる。
「ちょっと!誰なの?開けなさい!」
「誰か先生を呼んできて!」
僕はその声を無視した。すると逆方向から声がする。懐かしい声が。
「ア・・キ・・」その声はハルから発せられた。
ハルはこちらを向いて言った。最後の言葉には、確かに意志か宿っていた。
―――ありがとう
ハルは自身と世界を繋ぐ管を抜いた。
そのまま崩れいく友の亡きがらを僕は目に焼き付けた。
未来永劫。
僕は確信していた。
未来永劫、僕はこの光景に縛られる。
僕を苦しめ、僕を救う。
春は、もう来ない。