リバーシブル・ライフ-4
「彼には意識があった。意志があった。ただそれを実行に移す手段が無かった。安楽死を求める声が無かった!」
ふざけるな!
ちゃんと弁護しろ!
お前に何が分かる!
ざわめきは怒号に変わり、今にも襲い掛かりそうなのは、被害者の親族だろうか。
真田は続ける。
「彼は罪を犯したかもしれない。けれどそれが、望まれたものだったとしたら?」
「異議あり」
「認めます」
検察官は溜息混じりに発する。けれどその声色に余裕は無い。
「かなり無理のある理論だ。そもそも彼が死を望んだ証拠は?」
「では望まなかった証拠は?」
「水掛け論だ!」検察官は机を叩く。
真田は構わず続けた。「生きたいと思った?立つことも、話すことも諦めろと言われ、生きることを諦めなかった、と?ただ生かされることに希望を持てた、と?」
あなたは、
今度は真田が机を叩いた。
「あなたはそう思うのか!」
静寂が訪れた。
「ここに、かつての被害者の恋人であった奈津美さんの証言があります。春樹くんは、事あるごとに、こう言っていたそうです。『俺は自分の意志で生きていきたい。誰かに生かされる人生なんてまっぴらだ』、と」
―― カミサマ?そんなもんクソ喰らえだ。自分の道は自分で決める
ギリ、と歯軋りをしたのは、秋人だった。
長い公判のなかで初めて顕わにした感情だった。
秋人は思い出していた。
夏の終わり。
緩やかな風と紅空。
なんてことのない瞬間に、ふと口にした。
『自分の意志を捨てたとき、その先はただの残滓だよ、アキ』
『でも大半の人たちは折り合いを付けながら暮らしているよ。ハルは完璧主義者すぎるよ』
ハルは首を横に振る。
『だからさ、彼らは抜け殻なんだよ。能動的な決断と実行をしない奴は、風に吹かれて崩れていくだけさ』
言わんとしていることは分かった。
『でもそれは理想論だよ』
ハルは肯定も否定もせず、微かに笑った。
沈黙は続いている。
検察官がネクタイを緩める、その渇いた音だけが空しく響いた。
真田、やり方が汚いじゃないか 。
検察官は弁護士を睨み付ける。
十中八九、こちら有利の裁判だった。望むとおりの刑期が下るはずだった。
やられたよ、真田。
彼は時に、常識から外れた考え方をする。
感情に訴える弁護など言語道断でタブーのはずだ、本来ならば。
だが今回の事件に限れば、そうは断言できない。
なぜならば、この事件は裁判員制度が適用されている。
裁き下すのは、一般人。
さらには県内初のモデルケースとしてマスコミにも注目されている。
世論の目には、どう映る?
考えたくない。
考えたくはないが、最小の刑期に留まる可能性すらある。
最悪の場合、執行猶予が付くことも。
人を殺しておきながら執行猶予など、自分の能力の無さをアピールするようなものだ。
それだけは絶対に許されない。
検察官は低い声で言う。「それでも被告人は、事実、罪を犯している。人間的悪でないとしても、社会的悪を罰する場所が、裁判所という聖地である」
真田は反論しなかった。
それは、正論だったからだ。
そして正に自分が追い求めていたものだったからだ。
けれど、
真田は思う。
けれど、結果は残酷にお前を追い詰めるだろう。かつての私が正義に裏切られたように。
裁判は続く。
秋人は終始黙秘を通した。
それが自らを追い込んでいるのは、誰の目にも明らかだった。