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多分、救いのない話。
【家族 その他小説】

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多分、救いのない話。-9--3

「どうです、先生?」
 神栖の母親はまるで悪意を感じさせない完璧な笑みを浮かべながら、葉月にどうとでもとれる曖昧な問いを投げかける。
「お陰様で」
 短く皮肉を叩きつけるが、この母親にそんな皮肉が通用しないのは分かってる。
 ――左手首に白い包帯が見えた。わざとだと解っているのに、心はざわざわとする。
「足りないものがあったら仰ってくださいね」
 立ち上がり、コンロに火を点ける。この《秘密基地》にはキッチンやシャワーなどの水回りもちゃんとあった。長く生活していた形跡が分かり、葉月の嫌悪感と恐怖心を刺激する。
 母親は何か料理を作り始めた。こんな気違いの作る料理など絶対に口に入れたくない。
「あんたみたいな金持ちは料理人雇ってるのかと思ってたよ」
「あら、私料理は得意なんですよ?」
「必要ない。何入れられるか分かったもんじゃないからな」
 面白い冗句でも聞いたかのように声を立てて笑う顔が、神栖にあまりに似ている。
 左手首の包帯と規則的な包丁の音。吐き気のする光景だった。
「まあ、そう怖い顔しないで。慈愛が見たら悲しむわ」
 挙げ句の果てにそんなことをのたまう。
「だったら出せよここから」
「残念だけど」
 切った具材を鍋に入れ煮立てていく。
「クリームシチューとビーフシチュー、どっちがいいですか?」
「……どうでも」
 料理をしている女は特別に顔を変えてはいないが、単純に料理を楽しんでるように見える。少し考え、クリームシチューにしたようだ。
「良かったですか?」
「……」
 あり得ないほど、悪意はないように感じる。クリームシチューにしたのは、おそらく栄養面と。“色”の問題だ。
 どうも料理やシャワーやベッドの生活面、映画や本やゲームなどの精神面や精神安定剤などをくれるなど健康面まで気にしてるように見える。これは娘の頼みなのだろうか。
 シチューはコトコト煮込む段階になり後は待つだけ。神栖の母親はこちらにやってきた。
「なんだ」
 拒絶の意志を示したが、やはり効果はない。
「何か訊きたいことありません?」

 ――私に答えられることは、お教えしたいと思ってます。

 言葉は真剣で、瞳は真摯だった。
 それを信用するには、葉月の見たこと、今の状況ではとても無理な話。
 だが、目の前の申し出を無視するには、あまりに訊ねたいことは多過ぎた。
 しばし躊躇った末に、最初の問いは――
「分からない」
 何を訊ねたらいいのかという、あまりに間抜けな問いだった。
「分からないことが多すぎて訊きたいことなんて山ほどある……何から訊いたらいい?」
 最後は半ば、自分に向けての弱々しい問いだった。
 しかし、目の前の《怪物》は、それを汲み取る。
「『始めのところから始めて、終わりにきたら止めればいい』」
 キョトンと言葉の意味がわからない葉月を面白がるように、この《怪物》は、
「不思議の国のアリス。アリスが裁判にかけられる時の台詞」
 嬉しそうに愉しそうに、秘密を共有する少女のように。
「慈愛には、内緒にしてくださいね?」
 その言葉だけは、強圧的に。
 《怪物》は語り始める。狂熱に浮かされた“唯一”の執着を、
 大切な大切な、自らの子への慈愛〈じあい〉を。


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