緑原の雄姿-4
…ガシャッ!
ゲートが開いた。メインレース開始。一頭の逃げ馬が軽快に飛ばす。そしてゴール前。その時、場内にどよめきが起きた。
…ドサッ!
故障発生。そして落馬。前のめりに倒れた馬に放り出された騎手。ピクリとも動かない。どよめきに悲鳴が交じる。
ターフの上に担架が運ばれ、救急車がやってくる。その脇で、立ち上がろうとする馬。しかし、ぶら下がっているだけの右前脚の先端。やはり、三本の脚では支えきれないのだろう。何度もバランスを崩し、フラフラしている。
また私の目の前で起きた惨劇。顔を伏せたい気持ちを殺し、シャッターを切る。その間、騎手は救急車で搬送された。
トラックに馬運車が入って来た。そこに押し込まれる手負いの彼。
私は理解していた。彼がどうなるのかを。中から聞こえていた蹄の音。それが完全に消えた…
安楽死。
治療不可能な傷を負った彼を待っている、唯一の選択肢。人間には想像出来ない痛みと苦しみ。それを取り払う為の処置。
他に手段がないのは分かっている。しかし、理解しながらも納得は出来ない。後味の悪さが胸に残る。私は仕事と割り切り、勝った馬の撮影を続けた。
先程までの惨状は、何事もなかったかの様に元に戻っていた。そして、観衆達の興味も次のレースに移りつつあった。
私の脳裏に蘇る六年前。それを拭い去る事が出来ぬまま、次のレースの為の準備を始めた…
−『またか…』
私の話を聞いた隆一が言った。
『えっ…またって…?』
言葉の真意を聞きたくて尋ねた。
『あぁ、ココの厩舎の事だよ。最近、故障や競走中止の馬が多いんだよ。ただその分、重賞レースでの勝利も増えてきてるけどな。』
勝利の代償。そう言うには過酷すぎる。
『どんな調教してるんだろ…?』
ふと疑問に思った事が口から出た。レースに勝たす為。しかし、それが彼等の命を削る結果に直結しているのは…
『じゃ、見に行くか?俺、ココの調教師と面識あるから。アポ取ってやってもイイぞ。』
『ホントですかっ!?是非っ、是非ともお願いしますっ!』
願ってもない申し出。隆一と組んでよかった。そう実感した。
−出版社の資料室。膨大なデータが収められた中から私は、例の厩舎の事を調べ始めた。
『アイツの言った通りだ…』
確かに勝利数は多い。しかし、普通に比べたら多すぎる故障馬。
《何でこんな…》
競走馬にとって、故障は宿命。極限までスピードを追求した結果、ガラスの脚と言う代償を背負わされた。
しかし、それは調教してる人間次第。そう考えていた。
《何故…》
関係者から話を聞き出したい。そう思った私は、編集部に戻り、隆一を探した…
−『お願いだから。今すぐにでもっ!』
『お、おい…
そんな言わなくても大丈夫だよ。とりあえず、先方に趣旨を話してからじゃなきゃ…』
困った様な返事。だが、私にとっては事実を究明する重要な嘆願。早急に知りたい、ただそれだけだった。
『絶対ですよっ!何でもするからっ!!』
『じゃ…ヤラせろ。』
『はぁっ…?』
余りにもふざけ過ぎた返事。私の手が力一杯握られた。あと一歩でブッ放す。その瞬間だった。
『冗談だよ。お前みたいな女抱いたら、物好きとか言われ兼ねないからなぁ。』
握った拳が緩む。ハッキリ言って拍子抜けした。しかし、逆を返せば女としてのプライドが著しく傷ついた。
…ドスッ!
『ぐふっ…』
ボディへの一撃。前かがみになり、腹部を押さえる隆一。
『じゃ、私は用事がありますから。あと、宜しく頼みます。』
棒読みの言葉。そしてすぐに背を向ける。そのまま私は部屋を出た。
《あのバカっ…》
ムカつくのと同時に、鼓動が早くなった。なぜか隆一の事が気になる。
《何で…?私、ドキドキしてる…》
不思議な感情。今は答えが出なかった。でも、鼓動の高鳴りは長い間、静まる事はなかった…