そこに海はなかった-2
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予定されたその日のスケジュールをこなした優希は、神戸空港でオフとなった。ステイ先のホテルへチェックインした彼女はベッドになだれ込むように身を投げ出した。
客室乗務員の職業病ともいえる腰痛に彼女も悩まされていたからだ。特に今日は酷い。
念願の正社員となって三年が過ぎてもプロパーとの待遇には差があった。プロパーとは、入社時点から既に正社員であることの符丁だ。一般の応募で採用された優希は、熾烈な選考試験に突破しても当初一年は、契約制なのだ。そして二回の契約更新を経て、やっと正社員への途用試験を受けることが出来たのだ。要するに一般の応募からでは、最短最速でも正社員へ途用されるのには三年は必要なのだ。しかし、現実は、ほんの一握りの者だけしか正社員にはなれない。それでも優希は勝ち取った。そして、アシスタントパーサーになることを新たな目標としているのだった。
着替えもせずに寝入ってしまった優希は、無意識に左の小指のリングに触れていた。夢の中、あの海岸が広がってゆく。テトラポットに打寄せる波の音が腰の痛みを和らげてゆく。なんて心地よいのだろう。
「だからね、すごく大変なの、研修と訓練、そして試験の連続だもの。テスト、テスト、テストだよ。だけど、こんなに大変なのに正社員じゃないのよ! プロパーっていいよなぁ……。差別だわ。だけど、絶対にわたし、正社員になってパーサーになってみせるわ。ねぇ、須田くん、ねえってばぁ、ねえねえ、聞いているの?」
夕日が遠くに見える海峡を茜色に染める。すぐ前の陽に焼けた高志の顔が夕日に滲んではっきりと見えない。俯き気味の彼の輪郭が寂しげだった。
「須田くん」
いつの頃からか分からないけれど、高志は、会社の話はしなくなった。優希の話を聞くばかりで、ある日、彼は、呟いた。
「オレだって大変だよ」
優希は訊いてみた。
「どう大変なの?」
「いちいち説明するようなことじゃないんだ。話したって分かるはずないさ」
「須田くん……」
「オレの仕事は、お前らみたいに、完全な作り笑顔を貼り付けて、ちゃらちゃらとお茶だのお絞りだのってお高くとまって、出来る仕事じゃないんだよ!」
「須田くん、ひどい……」
気だるさが残る身体を無理にベットから起こし、優希はバスルームへ向かった。熱いシャワーを浴びながら、さっき見た夢のことを彼女は考えていた。
(今、彼はどうしているのだろう。嫌いになって別れたわけではない。それなのにどうして?)
大きな夢と希望に満ち溢れていたあの頃、ふたりでその想いはずっと、いつまでも変わらないと信じていた。変わるなんて考えもしなかった。
それなのに、どうして――、と近頃よく考えてしまう。入社して五年。後輩もできた。先輩と呼ばれるようになって、入社間もない彼女達を見ていると、当時の自分と重ねてしまう。そして当時の気持ちに奮い立たせようと自分にカツを入れる。新たな目標はあるけれど、もちろん頑張ってはいるけれど、どこか薄ら寒い感覚が頭をもたげてならないのだ。
決して毎日が新鮮でなくなったのではない。夢にみた仕事に就くこともできたし、念願だった正社員にも途用された。それなりの評価も得ている。次の目標もちゃんとあるし、手抜きなんてしていない。