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そこに海はなかった
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そこに海はなかった-4

 定刻に搭乗のアナウンスは流れた。予め分かり切っていたことではあるけれど、課長と席を並べるのは気が進まない。高志は、混んでいないことを願った。全ての乗客が、搭乗して空席があれば席を移動しようと考えていた。しばらくすると搭乗が完了したらしくドアが閉められた。
「課長、空席が多く有りますから、広く使いましょう」
「あぁ」
 課長に声をかけると、高志は、できるだけ、課長から遠い席に着いた。だけど極端に遠すぎてもいけない。微妙な距離感を保たなければならない。ビジネスマンは辛いのだ。
 それから間もなくして、マニュアル通りの機内アナウンスの後、飛行機は定刻に飛び立った。
ぐんぐんと高度をあげて水平飛行に移った頃、「お絞りをどうぞ、後ほど、お飲み物とお食事をお持ちいたします」という声に高志は、顔をあげた。
 そこには、完全な笑顔を貼り付けた客室乗務員の姿があった。
だけど、優希では、なかった---。
(当然だよな、そんな偶然なんて、ある訳がない)高志は、心の中で呟くと、「ありがとう」と、お絞りを受け取った。
結局、香港へ向かう機内では何も起こらなかった。

 課長随行の二泊三日の香港の出張を終え帰宅した高志は、バゲージをベッドのうえに投げ出すと、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。プルタブを開けようとしたとき、留守電の点滅に気付いた。「はて誰だ?」最近は、固定電話の留守電に伝言なんて入ってることなんて珍しい。大抵は、携帯で用は足りるはずだ。
 メッセージを再生してみる。
「須田くん。元気? 元気じゃないないなら、一緒に元気になろうよ」
 優希――。

 深夜の高速を海浜公園に近いインターで降りた辺りだった。
「どうして、電話くれたわけ?」
「お願いがあったから。それと陣中見舞い。なんて、陣中見舞いは冗談」
「ん、お願いって?」
「あの、テラスの場所に行ってみたかったの」
「あそこは、もう無いよ」
助手席の優希が、艶やかな髪をかきあげて高志をみつめる。
「知ってるわ」
「えっ」
「もう無くなっているんでしょう。だけど、確かめておきたいの。あの場所から始まったから。あなたへの想いも自分の夢も。---あなたと出会えた場所だから」
 高志は、はっとした。そして気づいた。
優希はちっとも変わってなんかいないんだと。慌しい日常に冷静に彼女を見つめることができなかったんだ。自分ひとりだけがどんどん突き放されていくようで、勝手に卑屈になってゆく自分が堪らなく嫌になって、一緒に夢を追い続けることを忘れていたんだ。変わってしまっていたのは優希じゃない。自分だったんだ。カッコいいとこだけを見せたくて、理想と現実のギャップを素直に受け入れなくて、頑張る意味さえ見失っていたのだと。
 彼女は、自分よりも、一歩だけ社会の前を歩き出していたのかも知れないと。
 大きな夢と希望を抱き、理想と現実のギャップを噛みしめながら。それでも頑張って行けるのは、色あせない憧れを持ち続けているから。その憧れのかなめになれるのが、お互いに誰であるのかを知っているのだと。そして憧れの先にあるのが、ふたりで一緒に幸せになることを。
 今は、道路がタイヤを叩く音も、窓から入り込む冷たい風も感じない。すれ違うヘッドライトが優希の小指のリングを輝かせる。
 かつてのその場所に、車を停め、駐車場の先端まで行ってみた。
 そこには、海はなかった。潮の匂いもテトラポットに打寄せる波の音もなかった。
 どれくらいの時間が経ったのだろう。沈黙を破ったのは優希だった。
 高志の袖口をつまんで優希は呟いた。
「ずっと、一緒に居たいな」  
高志は、優希の肩を抱き寄せた。セーターに優希の温もりが伝わる。
「かっこ悪いビジネスマンだぞ、オレ。だけど商社マンになりたかった。お前、学生の時、商社マンの奥さんになるのが憧れって言ってたよな」
 遠くに海峡をまたぐ七色のイルミネーションライトの輝きが壮大な吊橋のシルエットを映し出していた。  (了)


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