『てらす』-1
扉を開ければ、目が眩みそうなほどの光に包まれていた。
雲ひとつない蒼穹。
眩い日差しを遮るものは何もない。
汗で湿った額に触れる心地のよい風。
いい天気。
水がたっぷり入った桶を置いて、私は大きく体を伸ばす。
今まで床掃除をしていたせいか、体が酷くきしんだ。
でも。
その分、今は春の晴天を十分に満喫できる。
だから、掃除は好き。
「おはよう、媚娘(びじょう)ちゃん。いい天気だね」
「おはようございます、おばさん。精が出ますね」
庭の掃き掃除をしていた近所のおばさんに挨拶を返す。
まだ春先。
税の取立てのないこの季節、村の人々はみんな穏やかだ。
四季の中で、一番好きな季節。
さてと、と呟いて重い水桶を持ち上げる。
何度も泥まみれの布をすすいだ水は、黒く濁っていた。
屋敷の外に捨ててしまおうかしら。
そう考えたりもしたけど、なんだかおばさんに申し訳ない。
それに、せっかくのいい天気。
地面をぬかるませるのは嫌だ。
どうせ川はすぐそこなのだから。
私は水桶を両手で持つと、こぼして着物を汚さないように慎重に歩き出した。
歩きながら、風に乗った草の匂いを嗅ぐ。
春の風は様々な香りがする。
桶は憎らしいくらい重いけれど、もう少しがんばれば水辺に咲く花の香りが漂う。
「重そうだな」
不意に声をかけられる。
少年の声。
「融(ゆう)」
私は少年の名を呼ぶ。
牛飼いの少年。
私より二つも年上なのに、その表情はあどけない。
それでも、背は私より頭二つ分は高く、私はいつも見上げてしまう。
「こんな所にいていいの?」
牛を連れていないところを見ると、今日も仕事をほったらかして遊んでいるらしい。
「俺がどこにいようと、俺の自由さ」
笑いながらそう言った融は、私から水桶を取り上げる。
片手で楽々と。
「またおじさんに叱られちゃうよ」
「見つからないよ」
融の家のおじさんは、本当に牛のような大きな人だ。
私にはやさしいけれど、何度か融が叩かれているのを見た。
おじさんの大きな手で叩かれると、融がまるで枯れ葉のように吹き飛ばされるのだ。
「汚い水だな。貴族のお嬢さんが、こんなもの運んでていいのか?」
桶の中を覗き込みながら顔をしかめる融に、私は早足でついていった。
「もう貴族じゃないもん」
「変わらないさ」
川のせせらぎが耳に届く。
「貴族は貴族、牛飼いは牛飼いだ」
水面に差し込んだ日差しが照り返ってまぶしい。
緩やかな川の流れに、光が流されていくようだ。