フェイスズフェターズ 序章-1
序章
昼の暑さが嘘のように、夜は涼やかだ。暗闇が周囲全ての温度を奪い去っているような存在感を持っている。教会のシスターであるヴィテーズは、教会の外からぼうっと南へと無限に広がる砂漠を眺めていた。明かりは手元にある松明だけ。その心許ない明かりでは、到底砂漠の全てを照らし出せない。この国育ちの彼女にとって砂漠は見慣れたものだったが、夜の砂漠だけは慣れるものではない。まるで、そこから『何か』が飛び出てきそうで、彼女は不安になるのだ。そう、『何か』だ。恐ろしく野蛮で、凶暴。人間などでは到底叶わない恐ろしい膂力を誇る『奴ら』が。
その恐ろしい存在のことを考えると、思わず体が冷え込むようだ。二の腕に鳥肌が立ってしまった。
(早く戸締まりをして寝るべきだわ。今日は仕事が立て込んで眠るのが遅くなってしまったから……)
踵を返して扉へと向かうヴィテーズに、ふと、若い男の声がかかった。
「もし、シスター。少しよろしいですか?」
穏やかでない想像をしていた直後に背後から突如声をかけられたものだから、思わずヴィテーズはびくっと体を震わせてしまった。恐る恐る振り返ると、そこにはシャツにズボンという市民の出で立ちをした青年が微笑みながら立っていた。
「シスター、少しお話があるのですが」
青年は微笑んだまま、ヴィテーズにそう声をかけた。ヴィテーズは自らに声をかけたのがただの人間だったことに安堵しながら、動揺していたことを悟られないように殊更ゆっくりと答えた。
「お話ですか。このような時間でないといけない話ですか?」
「ええ、申し訳ないとは思うのですが、急ぎなんです」
青年はそう言って表情を濁らせる。暗くていまいちわからないが、褐色の肌をしている。恐らくは現地の人間だろう。
「……わかりました。じゃあこんなところではなんですから教会の中へどうぞ」
ヴィテーズはため息を一つ吐きながら、教会の扉を開けようとする。だが、扉に手をかける寸前でふと疑問が浮かぶ。--この青年は一体どこから現れたのだ? 自分が砂漠を眺めているときには視界にも入らなかったではないか。それに、ここは農村の教会だ。なのにこの青年は農村で見かけたことはないし、それに都市の人間がする格好をしている。都市の人間がわざわざ農村の教会に来るだろうか?--
背中に冷や汗が流れるのを感じながら、ヴィテーズはまたも恐る恐る振り返った。振り返るとそこには、先ほどよりもヴィテーズに近づいた青年がいた。先ほどとほとんど認識は変わらない。服装も体格も、さっきと同じだ。ただ一つ、先ほどは遠くて見えなかった瞳が、松明の明かりによって紫色であるということだけがさっきと違っていた。--だがそれは重大な違いだった。