多分、救いのない話。-8--8
葉月先生に、気付かれた。
葉月先生は、優しくいい先生だから、だから。《怖いお母さん》から慈愛を引き離そうとするだろう。それは時間の問題だった。
けど、《怖いお母さん》を慈愛から引き離すというのは、即ち母との別れ。
耐えられない。唯一の、たった一人の家族なのに。
母のおかげで――産まれてこれたのに。
このままでよかったのに。
葉月先生は、納得してくれないだろう。絶対に、引き離そうとするだろう。
――どうすればいい?
答えは呆気なく出た。
《怖いお母さん》がいなくなればいい――。
そうすれば、葉月先生が自分と母を引き離す理由がなくなる。そう思った。
だから、今まで忌避していた変化を……
《コレ》というジョーカーを、母にぶつける。
母が今度こそ、《怖いお母さん》から戻らないかもしれない。
だけど、理由を処理出来たら……《優しいお母さん》として、ずっと一緒にいられるかもしれない。
賭けるには、代償があまりにも大きすぎる。
母は、《コレ》を慈愛が隠し続けていたことを、知らない。
分の悪い賭け。それでも、慈愛には。
これしか、なかった。
『秘密基地にいます』
母の前から消える前に、送ったたった一通のメール。
《秘密基地》に来るということ。
慈愛の“秘密”を、告白するということ。
数日、返信も連絡がなかった。
棄てられる――その恐怖に苛まれ、賭けの分の悪さも相俟って、ろくに寝ていなかった。
でも、きっと。
慈愛は外に出てきて、母を待つ。
「――慈愛」
母は来てくれると、信じてた。
「……お母さん」
「ごめんなさいね、迎えが遅くなって」
いつもと変わらない微笑みに、泣き出しそうになる。
だけど。
「遅くなったのはね、ちょっと慈愛に意地悪しようと思ったの――独りじゃ寝れなかった?」
本番は、これから。
「いぃえぇ」
母と同じく、いつも通り間延びした声で母の言葉を否定する。
ぶつけるのだ。母の知らない、慈愛の切り札〈ジョーカー〉。
「独りじゃなかったですから」
珍しく。
本当に珍しく、母がキョトンとした。
「誰かいるの?」
ドクンドクンドクンドクンドクンドクン
深呼吸。
ああ、目が回る。胃が痛い。喉がカラカラで、汗はびっしょりなのに身体は芯から冷え切っていて、寒いのか暑いのか分からない――
「お父さんが、いるですよ」
――――――――
ああ、今はどっちのお母さんなんだろう。分からない、判らない。
もう、切り札は切った。後戻りは、出来ない――
「こっちです。入ってくださいな」
平然とした顔を保つのに精一杯で、
母の顔を見ることは、出来なかった。
中に入って、母と《コレ》が、
十五年振りに、再会した。