多分、救いのない話。-8--5
慈愛は水瀬奈津美と対話する。
「みーちゃん」
いつもと同じように。いつもとは違う透き通った笑みを浮かべながら。
慈愛は気付いていない。その笑みが、《怖いお母さん》と同質であることを。
「あら、メグちゃん」
水瀬も、普段と変わりない口調。しかし、眼の焦点は何処にも定まらず、空虚そのもの。
「お母さんは?」
「来てないですよー。今日はメグ一人です」
「お母さんと、お話したいの」
「メグが代わりに聞くですよー。なんですか?」
「私の弟」
「…………」
「あの人ね、知ってるのよ。弟が、何処にいるか」
「いないですよ、もう」
突き放した声に、しかし気付かずに、まるで夢見るように。
「ねぇ、お母さん……メグちゃんのお母さんなら知ってるのよ。絶対、知ってるの」
「いないんです。もう……父はもう、いないです」
「……? メグちゃん、私の弟のこと」
「知ってるですよ」
笑みを深める――誰も届かないほど、深く、深く。
「《アレ》がお母さんを犯して、産まれたのが私です」
――そう、
「お母さんの痛みと苦しみ、傷つき傷ついた果てに、私が産まれた」
それが、それこそが、
「お前の弟がお母さんを何日監禁したか、知ってるの? あなたの弟は、私の母を、どれだけ――陰惨に残虐に最低に最悪にどうしようもない傷を、痛みを、歪みを」
その結晶。子供《めぐみ》の――
「与えたか、……知ってるのかああぁっっっ!!!」
罪、そのもの。
一息に絶叫し、息を荒げる。
産まれてきてはいけなかった。
堕胎されればよかった。そうすれば、母は忘れることも出来た。
でも、母は――産んでくれた。
「……ねぇ、メグちゃん」
あまりにも強く、暗く、粘ついたドロドロの怒りの叫びに、流石に水瀬の声が少し小さくなる。
だけど――
「あの人ね、知ってるのよ。弟が、何処にいるか」
「…………っ!」
壊れた心には、何一つ届かない。
水瀬奈津美は、壊れている。どうしようもなく、壊れていた。
母が壊した。慈愛を傷つけた、《罰》として。
慈愛が最も信頼していた大人である、水瀬奈津美を。
優しかった。
母以外では、きっと。一番信じてた。
分かってくれている。そう思ってた。
違った。
「知ってた……ですね」
裏切られた、わけではない。
慈愛にとって母が一番大事なように、
水瀬奈津美にとっては、《アレ》が一番大事だった。
ただ、それだけの違い。
「みーちゃん」
もう届かない。伝える気もない。
自嘲を韜晦する為だけに、言葉にするだけ。
「お母さんは、知らないですよ」
言の葉は枯れ落ちて、砕ける。それを見届けることもなく、《秘密基地》を、地下の牢獄を、慈愛は出て行く。