「花、堕ちる―後編―」-3
「お嬢さん。今日は月が綺麗ですよ」
澄んだ空気のなか、望月が冴え冴えと闇夜を照らしている。
「…美しすぎて、少し怖いほどです」
丑三ツ刻も近いのだろう。
辺りは森静として、月の明るさに圧倒された、弱い星の瞬きも聞こえてきそうだ。
店の裏木戸から続く細い路地は、長屋が連なる一角を過ぎると、小川の川縁に繋がっている。
枯れた薄が揺れる、小川にそって藤吉はゆっくり進んだ。
千世は小柄で華奢なので、こうして袢纏を羽織っていれば、赤子をあやしているようにも見えるだろうから、不審に思われることもあるまい。
背中の千世は相変わらず大人しかったが、眠った気配はない。
千世の、この二年で痩せて、やや骨ばった細い腕や脚の温もり、藤吉のうなじに微かにかかる吐息を感じる。
藤吉は、束の間幸せを味わった。
このまま千世を連れて、遠くにへ行ってしまおうか―。
藤吉は、今日もう幾度かになる、そんな誘惑にかられた。
千世が、愛しかった。
今、こうして藤吉が千世のそばにいるのは、責任感からではなくて。
ただただ一緒に時を過ごしたい―。
それだけなのだ。
「藤吉」
澄んだ声音が、藤吉の耳に響いた。
「はい」
「・・・お前は、分かっておいでだね」
あたしが、自分で毒を呷ったこと。
藤吉は何も言わず、黙々と歩く。
広い背中は、存外にがっしりとしていて、千世をこの上なく安心させてくれた。
藤吉ではない誰かの許へ嫁ぐことなどできなかった。
好きだったのだ。
手をひいて歩いてくれた、あの幼かった時分から。
でも、どうしても言えなかった。
言ったとしても、叶えられることはなかっただろう。
他の男のものになるなど我慢ならなかった。
そして、藤吉が自分以外の娘と夫婦になるのはもっと許せなかった。
手に入らぬなら。
叶わぬなら。
いっそ。