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男性には向かない職業
【純文学 その他小説】

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男性には向かない職業-7

 ナースステーションの休憩室には色んな雑貨が揃っている。テレビやCDデッキや、誰が持ってきたのか少女漫画まである。
 私は休憩質の畳の上で膝を抱え、テレビも付けずにただ壁の染みを数えていた。
 数えた壁の染みが丁度五十七をこえた時、手術に立ち会った助産師の声が向こう側から聞こえてきた。
 後片付けの全てが終わったんだろう。
 どこからか、血のにおいがしてきた……。
 肩を見ると――きっと先輩に掴まれた時だろう――女性から流れ出た、どす黒い血液が手形状に付着していた。
 最後に見た赤ちゃん、これと同じ色してたな。
 どうして、先輩は口を押さえたんだろう。
 産れたあの子、生きたかっただろうなぁ。
 生きるために、呼吸しようとしていたのに。
「お前」後ろから呆れたような声が聞こえた「まだそんな恰好してたのか」
「……先輩」
 休憩室に現れた先輩は、目が腫れて、顔が青白くなってて、瞳に色が無かった。
「先輩……えぐっ……どうして赤ちゃんの……えぐっ……口を塞いだんですか」
「泣くなよ……」
「うう……赤ちゃんが……赤ちゃんがぁ!」
「とりあえず、感染症とか色々うるさいから、それ脱げ」
 涙が勝手に溢れてくる。声がどうしようもなく引きつって堪えられない。
 私は先輩に手術衣を、されるがままに脱がされた。
 先輩は脱がした手術衣を専用のゴミ箱へと捨てにいった。

 しばらく経って、私が徐々に冷静さを取り戻してきた頃、先輩は缶ビールを二つ手に提げて戻ってきた。
「お前さ、泣くんだったらもっと声を抑えろよ。ナースステーションの外まで聞こえてたぞ」
「……うう」私は怨みの籠もった視線を先輩に向けた。
「ほら」と先輩は缶ビールを投げて渡した。
 何とかキャッチしたけど、危なく落とすところだった。
「先輩。まだ営業中です」
「それを言うなら就業中。もう三十分もしないうちに引き継ぎだ」
 そう言うと、プシュ、と先輩は缶を開けてビールに口を付けた。
「就業中にお酒を飲むなんて、不謹慎です」
 私は缶を開けたはいいけど、口に運ぶ気力が無い。
「お前、今日の赤ん坊の事、根に持ってるのか」
「持たないわけ――!」自分でも驚く程大きな声が出た。深呼吸をして、声のトーンを意識的に下げる。「持たないわけ、ないじゃないですか。あれは、人殺しですよ?」
 ふぅ、と先輩がビールの缶を見つめため息をついた。
「お前はさ、赤ん坊が流産だったと知らされるのと、ちょっと生きた後に死んでしまうの、どっちが辛いと思う?」
「……それは」
 言いかけたけど、どっちも、辛い。
 すぐになんて、選べない。
「私はね、期待を持たせておいて赤ん坊が死んで、膨らんだ期待が切り裂かれるよりも、流産だったと告げられるほうが、多分マシなんじゃないかって思うんだよ。生きてる赤ん坊を見ちゃうと、未来を見るから。この子が大きくなって、大人になったらどんな子になるんだろうって、期待が膨らんじゃうから。その分だけ、死んだ時の傷は深くなると、そう思うんだよ」
 先輩がビールに口を付ける。
「だから……手を当てた。なかった事にした」
「あの子は泣いたんですよ? 生きられたかもしれないのに……」
 先輩は何も言わず首を横へ振った。
 気丈には振る舞っているけど、相変わらず彼女の瞳には色がない。
「私もね、立ち向かった事があるんだよ。けど、無理だった。二十一週目までは『流産』で、二十二週目から『死産』と言われるのは、二十一週のジンクスに関連した理由があるんだろうな。今回のように泣いた赤ん坊は居なかったけど、呼吸器を付けて生きながらえた赤ん坊はいるんだ。けれど、どの子もNICUで息を引き取った」
「…………」
 先輩は今にも泣き出しそうに、こぼれ落ちるものを食い止めるように、口を一文字に結んだ。彼女だって、赤ちゃんの口を塞ぐなんてやりたくなかったはずなんだ。じゃなきゃこんな顔、しない。


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