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『動物園にて』
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『動物園にて』-6

『かおのないねこ』を書くきっかけになったのは、僕の携帯電話についていた古いストラップだった。猫の人形がぶら下がったストラップで、長い間つけっぱなしにされていたそれは、顔の部分の塗装が剥げ落ちていて、のっぺらぼうになっていた。
「なにその猫。ぼろぼろじゃない?」
理穂はそう言って僕のストラップをからかった。
「違うよ。これはもともとこういうデザインなんだ。」
「へぇ、なんていうキャラクターなの?」
「かおのないねこ、っていうんだ。外国でちょっと流行った絵本のキャラクターでね」
僕は適当に話をでっち上げて理穂に返す。理穂もそれがでっち上げだと気付いていて、僕も理穂がそれに気付いていることが解っていた。冗談による冗談のための冗談による会話。歴史的な政策みたいだ。
「その絵本ってどんな物語なの?」
理穂は何処まで追及すれば僕が白旗を揚げるのかと、質問を繰り返した。
「あるところに、かおのないねこっていう猫が居て、その猫は町の人から嫌われてたんだ」
「それでそれで?」
理穂はこの時点ではすっかり面白がっていた。でも僕は何故かするすると『かおのないねこ』の物語を思いついて、理穂に聞かれるままに答えているうちに、すっかり一本の物語のあらすじが完成してしまった。そして理穂はその物語を気に入ってしまった。
「ねえ、その『かおのないねこ』をちゃんと物語にして書いてみてよ。私、それの絵を描きたい。二人で絵本を作ろうよ。『かおのないねこ』の絵本」
理穂の部屋の中は窓から光は差し込んではいるものの、目には見えない灰色の何かの粒子がふわふわと漂っているようで、何故か薄暗いという印象を与える。そんな非現実感を孕む部屋の中では、理穂の提案はとても魅力的なものに感じた。思えば、僕が『かおのないねこ』のあらすじをほとんど何も考えずに創ることが出来たのも、理穂の部屋の持つ力のせいだったのかもしれない。
今も理穂の部屋はそんな空気を保っているのだろうか。そういえば、もう随分の間理穂の部屋に行っていない。


「結局ね、私はシャカイフテキゴウシャだったのよ」
理穂が口を開いたとき、僕らはまたキリンの柵の前に居た。
理穂が四文字以上の熟語を発音しようとすると、それは何故かいつもカタカナのように響く。理穂の声帯(あるいは思考)は漢字の固さを嫌い、ひらがなのやわらかさやカタカナのシンプルさを好んでいるみたいだ。
「社会不適合者」
僕は何も考えずにただ言い直す。とりあえず言ってから、頭では続きの言葉を考える。
「やっぱり私には絵を描くことしかないんだと思う」
「うん」
社会に適合する能力は、理穂には無い。いや、そういう言い方は適切じゃないだろう。社会に適合するための、能力の不足、が理穂には無いのだ。社会というものの成り立ちはつまり、ポジティブな意味での責任の押し付け合いだ。自分の人生の責任の一部を誰かに担ってもらったり、代わりに誰かの人生の責任の一部を自分が担ったりするのだ。そしてその中に身を置いてなお「自分の人生は自分のものだ」と言い切ることができる想像力の無さと厚かましさを、どれだけ持っているかが、社会に適合できるかどうかに関わっている。理穂は、あまりに想像力がある。不必要な優しさもある。それは悪いことじゃない。全然まったく悪いことじゃない。でもそのことは、社会の檻の中において理穂自身を傷つけ続けていたはずだ。
「ねえ理穂」
僕はキリンを見ながら言う。
「かおのないねこの話だけど、実はあの話には隠してある設定があったんだ」
いつか語ったのと同じように、僕はかおのないねこという物語を創造していく。
「ねこの友だちになった男だけどね、彼は実は昔悪い詐欺師だったんだ」
「そうなの」
かおのないねこの物語を通して、僕は理穂に語りかける。


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