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『動物園にて』
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『動物園にて』-7

「彼はね、嘘をつくことに疲れたんだ。もともと彼は詐欺なんかで金を稼ぎたくなかった。でも彼の生まれ育った環境がそれを許さなかった。治安の悪い街でね、生き残るのには力が強いか口が上手くなるしかなかったんだ。彼は力が弱かったから、後者になった。そしていろんな人を騙して騙して、ついでに自分も騙して、生きるための金を得ていた。彼はそのうち歳をとって、もう自分の人生が長くない頃合だというところで詐欺師を引退した。あとの人生の残りを過ごすくらいなら、もう嘘と金を交換する必要もない。でも、嘘は彼の習性として染み付いてしまっていた。長年の蓄積。油断すると彼はつい嘘を口走っていた。彼の嘘があまりにも上手いものだから、誰も彼の嘘を見抜けなかったのもその原因だった。そんな時、男はどんな嘘も見破るかおのないねこの噂を聞いたんだ。そのねこと一緒なら、自分はもう嘘つきでなくなることができるかもしれない。そう思って男はねこに会いにいったんだ。そうして彼らは友だちになった」
そこまで一気に話してしまい、僕は理穂のほうを見る。
「だから、男は最後のねこの質問に答えられなかったのね」
「そう。ねこと過ごした時間は男は確かに幸せだった。でも、それまでに溜め込んだ負債のほうがあまりに多かったんだね」
「うん」
「悲しい話だろ」
「悲しい話ね」
僕らは並んでキリンの顔を見る。キリンもこの話を聞いて悲しがっているみたいに見える。でもよく見ればそれはキリンの元々の表情だった。
柵の上に乗せられている理穂の右手の上に、僕は自分の左手を重ねてみる。理穂は少し驚いて、僕のほうを見る。その視線を両目で受けて、僕は言う。
「この話に教訓を見出すとするならね、それは人生には、嘘をつかなくてもいい友だちが一人くらいは必要なんだってことだよ。そして僕が言いたいことは、僕が、理穂にとってのその友だちであれたらいいな、ってこと」
「そう」理穂は視線を僕から外して言う。「ありがとう」
理穂の顔は少しだけ赤くなっている。僕も少し気恥ずかしくなっている。とりあえず僕らは互いを見るのを止めてキリンの顔を視線の避難所として設定した。代わりに僕は重ねていただけの左手に、少しだけ力を込めて理穂の右手を握ってみる。小さな反応が返ってくるのが分かる。なんとなく、理穂の心がほぐれて来ている気がする。
それはあるいは僕の勝手な思い込みかもしれないけど。
「私、これから絵描きを目指そうと思う」
理穂は静かな声でそう言う。柔らかな決心が含まれた声だ。
「それは、職業としての、ってこと?」
「うん。一応それなりに貯金もあるし、少しくらい回り道する余裕はあると思う。」
「いいと思うよ、理穂ならきっと大丈夫だと思う。具体的な問題とかは僕には分からないけど」
「でも」そこで理穂は少しうつむく。「前にも言ったかもしれないけどね、絵を描くことを職業にするのって、できればしたくなかった」
「絵を描くことを手段にしたくない」
僕は昔理穂が言っていた言葉に言い直す。
「そう。自由じゃなくなるって言うのかな。描きたくない絵を描かなくちゃいけなくなる時も、描きたくない時に描かなくちゃいけない、描きたい絵を描けない、描きたい時描けない、そんなことがきっと出てくる。それがほとんどになるかもしれない」
「そうだね」
「それが、少し不安、いや、不満なのかな」
理穂はでも、そう言ってからとても意思の強い目をして、キリンの居る前方の空間を捉える。今理穂の目に彼らはどう写っているのだろう。
「だから、その前にひとつ、自分のためにとっておきに楽しい絵を描いてみたいの。それでね、私にとって今まで一番楽しかった絵を思い出そうとしたら、それは『かおのないねこ』だったのよ」
「そっか」
「だからね、これはお願いなんだけど、また一緒に絵本を描きたいな。ユウ君と一緒に。ユウ君がつくった物語の絵を描くっていうのが、きっと私にとって一番楽しい絵なんだと思うんだ」
理穂は僕のほうに向き直って、右手を上向きに裏返して、僕の左手を握り返す。それから左手もそれに重ねて、両手で僕の手を握る。
「お安い御用だよ。実を言うとね、僕だって『かおのないねこ』を書いている時は楽しかったんだ」
「やった、ありがとう」
理穂はとっておきの笑顔になる。今日会ってからいつでも表情のどこかにあった翳りは、この瞬間だけはまったく見えなくなる。
きっと僕は理穂にとって特別で、理穂は僕にとって特別なのだ。それはもう、ちゃんと固められた真実だ。


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