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深淵に咲く
【純文学 その他小説】

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深淵に咲く-2

拘束具を身に付けるのは、子供達の冒した罪を彼女自身も一緒に償うという意図が込められているのだろう。だが、美優が初めてその行為を目の当たりにした時は、拘束具を巻き付けられたシスターの威圧感に怯え、声にならぬ悲鳴を上げた。シスターは慌てて美優を宥めようと頭を揺らしながら近寄ってくるが、その不吉なシル エットはドジョウが二足歩行しているようにしか見えなかった。
美優は彼女が一歩一歩近寄る度に、拘束具のジャラジャラと鳴る金属音と、ドジョウのシルエットとで神経が激しく摩耗し、ついには気を失ってしまった。
美優は度々シスターの拘束具について、他の子供達に悪影響があるのでは? と彼女へ一言告げるべきか悩んだことはあったが、それは彼女の信仰に関係する問題でもある。気軽に意見するべきではないのかもしれないと、そう結論づけ彼女の拘束癖についてなるべく触れぬようにしてきた。
託児所の職員はシスターのそんな悪癖をどう理解しているのか。誰も彼女の話題を口に出すことはない。
シスターが子供たちの罪を一緒に償うのは一日限り。何事も無ければ次の日には拘束具を外すのだが、ここのところ彼女の拘束が解かれた所を、美優は見ていない。
「じゃ、私はちょっと茜ちゃんに会ってきます」
「それはそれは。彼女を怒らないであげてね」
「はい。話を聞きたいだけなので、大丈夫です」
断言したが、怒らない自信はあまり無かった。
美優はシスターや他の職員から噂は聞いていたが、入所したばかりの茜と直接話をしたことは一度もなかった。
どんな人物なのか分からないが、もし平気で他人を傷つけても何とも思わないような人なら、自制できずに怒ってしまうかもしれない。
美優は両手で髪をかき上げると、その手を後頭部に固定し苦笑を浮かべた。

茜は部屋の中心にいた。彼女は綿のスラックスに白のパーカーという――託児所から支給された衣類なのだろう、女の子にしては少々ラフな出で立ちだった。
彼女は地面に突き刺さっているかのように直立したまま、全く動く気配がない。顔にかかった髪の間からちらり見える瞳は心なしか虚ろだ。室内に同化するような彼女の姿に、美優は息を飲んだ。
――この子は本当に、他の子供達を傷付けているんだろうか?
美優は開けっ放しになった扉をノックして自らの存在を相手に伝えた。そうしたのは茜の持つ侵しがたい雰囲気に飲まれ、声が出せなかった為だ。
弱々しい光を帯びた瞳が美優を捉える。
「……誰?」
「あ、初めましてだね。私は美優。ここの最年長よ」
相手の雰囲気に飲まれないよう声を張った。茜の声は美優が思った程、細いものではなかった。声だけを聞けば快活な少女を連想するだろう。しかし、彼女の表情には感情の類は一切見受けられない。
茜の声と表情とのギャップに、美優は息を飲んだ。彼女の後ろに別の何かがいて、それが声を出したのではないかと思えてしまう程に無表情な彼女を目の当たりにして、美優は戸惑っていた。
「茜ちゃん、だよね?」声を出し、思考に纏わり付くモヤを払拭する。「ちょっと話を聞きたいんだけどいいかな」
「わたしがいいよって言わなくても、話を聞くんでしょ?」
彼女の物言いに美優は憮然としながらも、目の前にあった木製の椅子に腰を掛けた。
「単刀直入に聞くけど、茜ちゃんはどうして他の子を傷つけるのかな?」
「……たんとうちょくにゅうって何?」と茜は首を傾げた。
「ええっと……。余計な話をしないでっていう事よ」
「余計な話って、例えば?」
「今日はお日柄も良く、とか。ううん、そういう話は別の機会にしよう。まず私の質問に答えて」
美優は相手の言葉を振り払うため、頭を軽く振った。茜のそれは裏表のない純然たる疑問符だった。故に、子供の世話係たる美優の食指が働き、思考が逸れてしまった。
今はなるべく本題から逸れないようにしないと。美優はそう自分を戒めた。


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