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深淵に咲く
【純文学 その他小説】

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深淵に咲く-11



不意にハナの声が止まった。
喉の奥から引っ張り出そうとしているが、どうしても唇を通過せず喉の奥へと埋没していく言葉。そのたった一言が何故言えないのか、美優はなんとなく気がついていた。だからこそ、他の誰でもない、彼女の為だけにこの台詞を用意した。
言えぬまま数十秒が経過し、観客がおかしいと気づき、どよめき始めた。
上手袖の幕から黒子である職員の顔が覗いている。多分、タイミングを見計らっているのだろう。茜が台詞を言えないのであれば、容赦なく仕掛けのスイッチを作動させる。そう、開演前に打ち合わせをしていた。
――やっぱりダメか。
美優が諦めかけた時だった。
薄暗い舞台の上に小さな光の粒が反射した。
ハナ――茜が、俯き泣いていた。
落ちる涙が暗幕から漏れる光に触れ、煌めいては消える。
どよめいた観客が、彼女の持つ雰囲気に飲まれ一気に静まった。
「誰か、お願い。たす、けて……。助けてください」
発した声がホール全体に届いた。いや、実際には届いていなかっただろう。しかし、彼女の演技ではない真実が観客を引き込み、声なき言葉を心へと響かせていた。
観客は時を、動きを、息をすることさえ忘れた。
「誰か。助けて……助けてよぅ」
彼女は声を殺して泣いた。
涙を拭うこともせず、皆に見られているというのに顔も隠さず、眉間に皺を寄せ、唇を強く噛みしめた。
耐えきれなくなり、ハナが下手へと動いた。
ようやっと涙を拭い、鼻をすすり、嗚咽を漏らしながら、ゆったりとした歩調で下手へと向かった。
その時、勃然とあふれ出た七色の光が彼女の背中を照らした。
舞台の外からではなく、中心から光を放っている。
それに気づき、ハナが足を止めて振り返る。
舞台の中心には、アクリルのケースが置かれていた。
そのアクリルの中に、光の色を変える花一輪が淡く浮かび上がっていた。
ハナが無言で歩み寄り、アクリルのケースを持ち上げる。
ホリゾント幕にハナの影が映し出される。
光は赤から黄、黄から青へと幻想的に色を変える。
ハナはわっと声を上げた。
声を上げ、泣きながらアクリルケースをそっと抱きしめた。

03

ハナが深遠に咲く花へと願いを伝え、昔のいがみ合いも分裂もない、平和な村の状態に戻ったところで終幕。
緞帳(どんちょう)が閉じると鼓膜を突き破る程の拍手が沸きあがった。
美優もシスターも我を忘れ、手を強く鳴らした。
舞台は大成功だと言えるだろう。美優は子供達の頑張りに感動し、まるで大河がうねるかのように流れる観客を背に、一人パイプ椅子に座り涙を流した。
ホールから観客が消えたところで、よしっと気合いを入れて美優は椅子から立ち上がった。きっと腫れちゃってるだろうなぁ。美優は幾分はれぼったく感じられる目を押さえながら女子トイレへと駆け込んだ。
うう……やっぱり腫れてる。鏡を見ながら、赤く膨れた瞼を何度か突っつく。洗面台の水を流し、ハンカチを濡らして目に当てる。ハンカチに染みた水の冷たさが、とても心地良い。
目にハンカチを当てていると、個室の向こう側から、カチャカチャと、金属がぶつかる音が聞こえてきた。
何の音だろう?
聞き覚えのあるそれに、美優は首を傾げる。なんの音だっただろう。この金属音は確か……、
「あら、美優ちゃん。ここに居たの?」
目をハンカチで押さえる美優の後ろから、シスターが愛らしく話しかける。美優はその口調に違和感を感じた。まるで、何かを隠しているみたいだ。
ハンカチを外し、うっすらぼけてしまった視線から、シスターの輪郭を見つける。雲が形を変えるかのように、徐々に輪郭がシャープに纏まる。
「シスター、今度は誰が悪戯を?」
彼女の拘束具を見て、美優は唖然とした。みんなが一致団結して行った公演の後、すぐに悪戯をするような子供がいるだろうか? とても信じられなかった。
しかしシスターは美優の態度を見て、横へと首を振った。


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