やわらかい光の中で-36
話の節々でたまにそう感じるだけのことではあったが、その男は、千鶴を自分の所有物かのように扱っているのではないか、と慎治は感じることがあった。
「亭主関白」という言葉を笠に着て、女性を威圧的に扱う男を慎治は嫌っていた。
そして、自分が大切に想っている女性が、そんな男と結ばれることを受け入れたくなかった。
しかし、それまでの彼の立場では、なかなか踏み込めない領域だったので、そのことに触れるような言動は控えていたのだ。
ところが告白して、彼女がその交際相手と結婚すると聞くと、その事実に大きなショックを受けたためか、その事を彼女に確認したくて仕方なくなった。しかし、上手い言葉が見つからず、なんとなく彼女を責めるような言葉が出てしまった。
◇
いつものように、千鶴を家まで送り届け、2人は、アパートの前の古びた街灯の下に立っていた。
その頼りない明かりの下で、彼女はいつもより小さく慎治の目に映った。
そして、俯きながら蚊の鳴くような声で「6月には式を挙げると彼が言うので…。」と千鶴は呟いた。
微妙な沈黙が2人を包んだ。
彼は彼女の次の言葉を待ったが、千鶴は俯いたまま、何も言おうとはしない。業を煮やした慎治は、そんな千鶴を真っ直ぐ見つめたまま、冷たくこう言った。
「何でも彼の言いなりなんですね。」
無駄な感情を押し殺そうとした彼の声は、むしろ冷たさを増して慎治の耳にも届いた。そして、その冷たい言葉は酷く蔑んだ言い方にも聞こえた。
彼女は更に弱々しく、「それで成り立っている関係ですから…」と寂しげに俯いた。
その言葉を言った瞬間後悔したが、その言葉は既に慎治の声帯をすり抜け、彼女の耳にも届いていた。
その時の彼女は、踏み潰されながら頭(コウベ)を下げ、それでもかろうじて咲いている儚げな1輪の野草を思わせた。彼女はじっと言葉もなく、ただ俯いていた。
そして彼は気が付いた。
彼女も男のその扱いに本当は心のどこかで、不満を持っているのかもしれない、ということに…。
それでもその彼と一緒になる方が、自分にとって幸せだと思ったからその男のプロポーズを受け入れたのだ。
彼女は、その男と生活していく道を自分で選んだのだ。やはり、慎治が心配する領域のことではないのだ。むしろ、失礼な発言だったのだと自分を恥じた。まるで、ただの負け惜しみだと、自分の幼稚さを情けなく思った。
それ以来、こうして個人的に会うのはもう止めよう、と彼は心に誓った。
しかし、暫くして近づくきっかけを作ってくれたのは、千鶴の方だった。
告白に惨敗し、男としてというよりも人としてある種の醜態をさらした彼に、千鶴は、また飲みに行こうと誘ってきてくれたのだ。
ただの社交辞令だったのかもしれない。
しかし慎治は、一瞬の迷いはあったにせよ、再び彼女と飲みに行ける事が嬉しかった。
そうして、2人の会話が増える度に、彼の中の迷いは消え、彼女と過ごすことが1番の幸せだという事実だけが残った。
慎治は、それまで自分がこんな恋をする人間だとは思ってもいなかった。
振り向いてくれないとわかっていても、好きだからそばにいたい、と思う恋心などそれまでの彼には、想像もつかなかったのだ。友達や先輩からそういう類(タグ)いの話を聞いても、自分には経験することのない恋愛だと決め付けていた。