やわらかい光の中で-3
3階まで吹き抜けになっている大きな窓の前に座ると、窓の外には、オフィスビル特有の白いタイルで埋め尽くされた空間が目に入る。
空間といっても、奥行き3メートルに満たない狭いスペースだ。
奥の壁には循環している水が静かに流れていて、夏にはそれなりに涼しさを演出している。
その前は簡単なベンチのような造りになっているが、座っている人を今まで一度も見たことがない。
おそらく、ビルの目の前を走る首都高速環状線の影響で、うるさいだけでなく、空気も悪いのだろう。
彼女のオフィスビルの目の前で、その環状線は地下に入っていく。毎日ひっきりなしに乗用車やトラックが通っているのだ。
彼女が年の瀬を感じながら、見るとなく外の流れ落ちる水を眺めていると、どこからか「ユミ?」と、呼ぶ声がした。
最初の声で自分が呼ばれていることに気づかずにいると
「ユミだよね。」
と、今度は彼女の視界にその声の主が現れた。
「辻元先輩。」
驚きながらその懐かしい顔を認識し、その名前を彼女が口にすると、声の主は安堵したような表情で目の前の席に腰を下ろした。
社内で彼女を下の名前で呼ぶ者はいない。同期や仲のいい先輩は彼女のことを「ヤマイチ」と呼ぶ。本来、彼女の苗字は「ヤマガミ」だが、女忍者の「九ノ一」とかけて「ヤマイチ」と呼ばれるようになった。
誰がそう呼び出したのかは定かではないが、入社して間もない頃からそう呼ばれていた。きっと飲みの席で、誰かがふざけてそう呼んだのがきっかけだったのだろう。
「ユミ、ここで働いてんの?」
「はい。先輩は?」
「オレは、単なる打ち合わせ。」
そう言うと、辻元は自分の名刺を机の上に滑らせ、裕美に渡した。
デザイナー然とした、シンプルなその名刺の肩書きには「代表」とだけあったが、彼の服装や雰囲気、打ち合わせに来たという話から、裕美は彼が何の仕事をしているのか、大凡(おおよそ)察しがついた。
「フリーでやってるんですか?グラフィック?」
グラフィックデザイナーや設計士が持つ、特有の黒くて長い筒状の入れ物を彼は持っていた。辻元は彼女の問いに小さく頷いて、なんとなく笑った。
裕美は業界3大大手の1つと言われているADH社という広告代理店の企画制作部でネット関連の仕事をしている。勤続8年、最近「お局」に片足突っ込んでいる事に自分で気が付き始めた。
「凄いですね。フリーのグラフィックデザイナーか…なんか先輩っぽい。」
「飲み会じゃ、仕事の話なんてしないもんな。ユミがADHだとは知らなかったよ。」
そう言うと、辻元は自分の腕時計で時間を確認し、裕美に話す時間がある事を確認すると、コーヒーを買う為に席を立った。
◇
辻元は裕美の高校の先輩だ。
彼女達の高校は文武両道を教育の目標に掲げており、生徒は皆、運動部と文化部に所属しなければならなかった。
裕美は、小学生の頃からバスケットボールをしていたので、運動部はバスケット部に所属していたが、文化部は活動が少ないことで有名な写真部だった。
活動の盛んな運動部の生徒の殆どが写真部に所属していたこともあり、バスケ部の先輩に進められたのだ。
その写真部の1学年上の代で部長をしていたのが、この辻元だ。