やわらかい光の中で-27
時には、危ない橋だとわかりながら一歩前へ踏み出す勇気も必要かもしれないが、あの時のそれが、その一歩だったとは心の底から思わなくなった。
そして、そう思う自分を至極当然だと認めることができるようになったのだ。
5年前の裕美の誕生日、彼は仕事を抜け出し、オフィスの近くにあるビルの中で最も高いビルまで走り、その高層階で、その日の夕焼けを彼女のためだけに撮ってきてくれた。
その夕日のポラロイドは、今でも色褪せることなく、彼女の部屋にちょこんと置かれている。
けれども、今ではその写真が彼女の目に留まることは殆どなくなった。
偶然目に留まり、なんとなく、今、彼はどんな生活をしているのだろうか、と思うことはあったとしても………。
◇
裕美はベランダへ足を投げ出した状態で座り、シャンパングラスにスーパーで買ってきたスパークリングワインを注いだ。
飴色の輝く泡がグラスの上に向かって上がっていく様を月明かりに照らしながら、独りでじっと眺めていた。
もうすぐ8月がやってくる。
海も道路も混雑する季節だ。
波に詳しいわけではないが、なんとなく8月の波は乗り難くて、彼女は嫌いだった。
ベランダのサンダルの上に乗った自分の足が、暗闇の中で一層黒く見えた。
花嫁には、似つかわしくないと思いながら、自分のことを鼻で笑って、グラスのワインを勢いよく飲み干した。
桜並木の夜、そのまま2人は近くのファミレスで食事をし、夜中の2時まで他愛のない会話をして帰った。
傍から見れば、普通の恋人同士のようだっただろう。
いや、実際に普通の恋人同士だ。
あれから何度かデートを繰り返し、6月中にはお互いの両親への挨拶を済ませた。
今は式場を探している最中だ。
自分の結婚が、まるで他人の結婚のように進んでいた。しかし、不思議とそんな状況に彼女は何の疑問も感じていなかった。
辻元に2人の事を報告した時、慎治が彼に誰か紹介してくれと言っていたことを聞かされた。
それで辻元は裕美を慎治に紹介したらしいのだが、この辻元に仲人役を頼むとは、慎治も相当な変わり者だと思った。辻元がそういう役に向いているとは、到底思えなかったからだ。
辻元も辻元で紹介しておきながら、裕美に恋人がいるかどうかは知らなかったのだ。
「そうかぁ…ユミ、彼氏いなかったんだぁ…」
と、その席で辻元は何度も繰り返した。
その帰り道、2人はなんとも辻元らしいと笑い合った。
裕美の母は、慎治に好印象を抱いたらしく「いい人ね」と何度も繰り返した。
慎治の母は、男の子3人を育てた豪快な人だった。嫌味のない気風のいい「日本の母ちゃん」という印象を受けた。
「思い込みの激しい子だから、変なこと言い出したら蹴っ飛ばしちゃってね」
と言って、豪快に笑っていた。それにつられて、裕美も笑った。