赤ずきんちゃむ、おほかみの食糧につき-10
エピローグ ジャムパイと言いわけ
「――で、どーしていきなりこんなことになったのよ」
仕事の最中にこんなことしていいと思ってるの、とチャムは不貞腐れていた。
「知らねーよ。俺が訊きたいっての」
服を整えながら横目で睨みつける彼女に言い、ジンロはエンジンをかける。
「しいて言や、何か甘い匂いが……」言って、ジンロはちらりとバスケットを見やった。「そんで、何かこう、ムラムラっと」
彼の視線の先を、チャムが辿る。
バスケットに掛けられたギンガムチェックの布をめくり、チャムはあっと声を上げた。
バスケットの中身は、菓子屋の女主人が言った通りパイであった。しかしそのパイは崩れ、中から赤いジャムが流れ出している。
「崩れやすいから気をつけてって言われてたのに、忘れてた」
チャムは困ったようにパイを見つめて呟いた。確実に相手に届けろ、と念を押されていたのに。
「何が入ってんだ?」
運転中で視線の離せないジンロに、チャムがバスケットを近づけて見せる。
視線だけを動かし、ジンロはバスケットの中身を見た。その鼻がぴくりと動き、再び彼は急ブレーキを踏む。
「わっ!? ジ、ジンロ!」
再びつんのめりそうになったチャムが、避難するように声を上げた。
しかしそんな彼女の両手を掴み、ジンロはワゴンのシートに彼女を抑えつけ、再び彼女にのしかかる。
「ちょっと……ジンロ」
「原因が分かったぜ」
彼女の上に乗ったまま、ジンロは息を荒げながら言った。
「そいつだ。媚薬入りジャムのパイ」
「び……」
チャムが目を瞬かせる。一瞬だけバスケットに視線を移し、彼女は口をぱくぱくさせた。
「ま、まさか」
「あそこの菓子屋、こんなのも売ってんだな。ま、需要はあるだろうしな」
「ど、どうして媚薬入りジャムなんて分かるの?」
迫るジンロに顔を引きつらせながら、チャムは問う。
ジンロは小首を傾げて言った。
「お前も嗅いだことがあんだろ」
バスケットからほのかに漂う、ばらに似た香り。確かに、どこかで嗅いだことのある香りだとチャムは思った。
(………!)
そうだ。あれに似ているのだ。強烈な、甘い匂い。ジンロと初めて出会い、初めて舌を絡ませた、あの時の。
「このジャムだとあんまり強い匂いじゃねーけど」ジンロは鼻をひくつかせて言った。「俺ぁ嗅覚が鋭いからな。くそ、そいつのおかげで、まーた勃っちまった」
ジンロは言い、チャムのワンピースに手をかける。
「や……また?」
呆れたような声だったが、抵抗する気はないらしい。気力といった方が正しいだろうか。
チャムは柔らかな焦げ茶の毛をそっと撫で、舌を突き出した。
その舌は長いジンロの舌に絡め取られる。
舌を離し、チャムは顔を上気させながらぽつりと言った。
「もー、お菓子屋さんに何て言いわけしたらいいんだろ……」
そんな彼女の頬をひと舐めし、他人事のようにジンロは肩を竦める。
「平気平気。そんなの、その辺に咲いてる花でも摘んで頭下げときゃいいって」
「それでも許してくれなかったら?」
不安げな表情で問うチャムに、ジンロは冗談交じりに言った。
「俺がお前を喰っちまったって言うってのは?」言いながらジンロは笑う。「んで、どっか遠くの島まで愛の逃避行」
「何か、笑えない冗談」チャムは苦笑する。「そんなこと言ったら、猟師のおじさんに地の果てまで追われそう」
「あー、かもな。あのおっさん、何にもしてねーのに俺が立ってるだけでつっかかってくるんだぜ。やんなっちゃう」
辟易した表情でジンロは言うが、すぐに悪戯っぽく笑いながら、チャムの胸を弄り始めた。
「ん……っ」
「ま、いずれにしろ赤ずきんを食うのは変わらねーけど」
ジンロがにやりと口の端をつり上げ鋭い犬歯を覗かせて言うと、チャムは非難するような目で彼を見やる。無論本当には怒っていない。それは彼にも分かっていた。
チャムはやれやれと諦めたような表情で言う。
「ホント、いつまで食べられ続けられることやら。ね、狼さん?」
軽く肩を竦める彼女に対し、喉の奥で笑うジンロ。
「なあ、知ってるか? 赤ずきん」
赤ずきんの言葉に、人狼は言うのだった。
「俺は婆さんでも問題なーく食っちまえるんだぜ?」