かつて「茅野ちゃん」かく語りき-9
「へい、お茶っ」
どん、と派手な音を立てて、テーブルに熱々の緑茶が置かれる。
この蒸し暑い夜になんてモノを……。
季節はついに梅雨へと突入した。窓ひとつのワンルームでは、エアコンなしでは苦行である。
「ありがとう」
目をやると、自分は氷の浮かんだカフェオレを手にしている。
一体、何の真似だ。ケンカごっこでもしたいのだろうか。
当の本人は僕に背を向け、扇風機の前で長い黒髪をなびかせている。小さくため息をつき、その肩に両手を置いた。
「タイタニックですか」
「……」
案の定、無反応。
どうやらむくれているらしいが、僕には理由が思い当たらないので謝りようがない。
「スネてんの?」
「……スネてない」
珍しくぶちぶち話すジュン。
これはこれで新鮮だな。
「じゃあ、どうしてこっちを向いてくれないんですか?」
扇風機とにらめっこしていた彼女が、のろのろと回転する。
「向いたぞ」
いつもの大きな瞳はよそを向き、ほっぺがぷくんと膨らんでいる。
「なに、怒ってんの」
「怒ってない」
ううむ、らちがあかん。
膨らんだ頬の先を指で押すと、案外と柔らかで驚いた。
「むー」
ジュンはうめきながら息を吐き、次は眉根をぎゅっと寄せた。
こりゃ、よっぽどだ。
この状況をどうやって打破しようかと思案にあぐねていると、彼女がぶっきらぼうに言い放った。
「アレ、やって」
……?
アレ??
「なに?」
「アレ」
な、何のことだろう。
さっぱり検討がつかないので、聞き返してしまったが、やはりヒントはくれないらしい。
まさかヒワイなことではあるまいし……。
そりゃ、していいんならやりたいことはたくさんありますが。
両手を広げて何も出てこないことをアピールしてから、口を開いた。
「滝田学、降参します」
すると、うつむいていた瞳が一瞬僕を射抜いた。
虚をつかれ、胸に飛び込んできたジュンを支えきれずによろけてしまった。
「わっ」
それにも構わず、彼女は僕をぎゅうぎゅう抱き締めてくる。
予想外のことに驚きながら、僕はジュンの頭をぽんぽんと撫でた。
「……ぎゅーーーってしろ!」
意地っ張りの純子さん。
僕は顔が笑っちゃうのを堪えられなくて、ただ言われたとおりに彼女をぎゅーーっと抱き締めた。
しばらくの間そうしていると、ジュンは自分から離れていった。
「満足しましたか?」
そっぽを向いたまま、こくんとうなずく。
「よかった」
頭をわしゃわしゃ撫でまわすと、ジュンはやっと笑った。そのまま、僕の手の感触を味わうように目を細めていたが、ややあって話しだした。
「クミコがな、藤川オトートの話をするンだ」
お。
茅野さんがらみのヘソ曲げだったのか。
原因が自分でないことに、ほっとすると同時にがっかりした。