はるか、風、遠く-25
「風だよ」
告げた瞬間、丁度風があたし達を包んだ。さわさわと木の葉の揺れる音が辺りに響き渡る。
「風?」
あたしは頷いて続けた。
「その風はね、いつも優しく穏やかにあたしを包(くる)んでくれるの。どんな時も傍にいて守ってくれてた」
黙ってあたしの言葉を聞いている遙。あたしは次第に涙声になってきている。
「その風は『辿』ってあたしの名を呼んでは微笑み、髪を撫でる。『辿』って呼ばれる度、『辿』って呼ばれる度に、あたしは…」
『辿』。そう呼ぶ遙の声が脳裏を過った。柔らかな響き。優しい声。胸がぎゅっと締め付けられる。
「あたしは言い知れぬ幸せを覚える。遙が、あなたがそう呼んでくれる度に!」
少しも動かない遙。それでも温もりは布越しに伝わってくる。
「あたし、遙がいいよ。ずっと一緒にいるのは遙じゃなきゃ嫌だ。遙しか考えられない……」
澄んだ、蒼い空気の中を風が泳ぐ。あたしは一つ、息を吸って止めた。
そしてそれを言葉として吐く。
「遙が、好きだよ」
静かな時。一分にも永遠にも思える時間。それは静かに終わりを迎える。
「正直な、気持ちなの…?」
上から降ってきた擦れた声。あたしは彼の胸に額を押しつけたまま頷く。
「誰にも遠慮しなかった、我儘なあたしの気持ち」
苦笑しながら、やっと遙の顔を見た。あたしを見下ろす彼の瞳とぶつかる。その瞳は優しさを帯び、微かに潤んでいた。
「遙……」
そっと手を伸ばして頬に触れる。
「平気だ」と笑っていた遙。でもそんなはずある訳がない。
好きな人が他の人と付き合うことを平然として見ていられるなんて人間はこの世に存在しないと思う。
遙だって苦しかったんだね。でももう離れないよ。ずっと遙の傍にいる。だから、ねぇ?泣かないで。
泣かないで、遙。
「遙、好きだよ」
もう一度告げた時、遙の両腕がきつくあたしを抱いた。
「やっと捕まえた……」
温かい場所。居心地がいい。あたしは彼の胸に顔を埋め、遙の温もりを全身に感じていた。
青空が広がっている。高い高い所に伸びる飛行機雲。
それを横目で見ながら、太陽は町へ光を注いでいる。昨日の天気からは想像できない快晴さだ。
「おはよう、辿」
すっ、と横を自転車が通っていった。ぎこちないけれど、ちゃんと届いた挨拶。
「おはよう、蓮!」
小さくなっていく彼の背中にあたしは叫ぶ。まだ時間はかかるだろうけれど、きっとまた彼とは仲のよい友達に戻れる、あたしはそう信じている。
信じることが次へのステップになる。愛しい誰かが教えてくれたこと。
すいっと角から現われる背中。水色のバレッタが朝の光を弾いて眩しい。
ずん、と重くなった心を奮い立たせるあたし。
大丈夫。遙がいてくれる。だからどんなことも恐れずやっていける。
さあ、前を向いて。
勇気を出して。
「蓬!」
あたしは力一杯、前を歩く友人の名を呼んだ。
はるか彼方遠くから届く風に吹かれながら、いつの日か、また四人で笑いあえることを信じて。