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翌朝。
けたたましいベルの音が、茶の間に響き渡る。
「…う…ふん…」
雛子は目を瞑ったまま、険しい表情で布団に潜り込む。
次の瞬間、掛け布団が宙を舞った。──覚醒の中で今日を思い出した。
「早く…用意しなくちゃッ!」
雛子は慌てて布団を畳んで押し入れに仕舞い、朝食の準備に取り掛かる。
ご飯は昨夜炊いた。それに、塩ワカメの味噌汁に一晩塩抜きした鮭の切り身を焼いた。
「いただきますッ!」
朝食を摂りながら、視線は何度も時計を見つめてる。
「ごちそうさまッ!」
慌ただしく食事を終えた雛子は、台所の流しで洗面に掛かる。
流しの隅に置かれた長方形の缶──歯磨き粉─を開け、水で濡らした歯ブラシを中に突っ込む。
粉まみれになった歯ブラシを口に入れ、小刻みに動かした。
泡はほとんど立たないが、これで磨くとハッカの香りがして心地よい。
口をすすぎ、石鹸で顔を洗うと手拭いで水を拭き取りながら、茶の間の時計に目をやった。
「…7時10分ッ!マズイッ」
雛子の顔に余裕が無くなった。慌てて、使った食器を溜め置いた米の磨ぎ汁に浸けると、押し入れを開いて化粧道具と手鏡を取った。
「い、急がなきゃ…」
雛子は薄く化粧を施すと、居間へと向かった。
寝間着を脱ぎ、訪問着に袖を通す。下のブラウス、丸い襟と縦の切り返しにフリルの付いたそれは、自分で買ったお気に入りだ。
「後はハンカチにチリ紙と…」
訪問着と一緒に買ってもらった小さなバッグに、必要なモノを詰め込むと再び時計に目をやった。
「何とか間に合った…」
すべての支度を終えた時、時刻はちょうど7時半だった。
新らしい革靴を履いて玄関を出ると戸締まりを行い、
「さあッ、行くわよ」
気合いを入れて家の前にある緩やかな登り坂に向かった。
100メートルほど先、坂のむこうに分校が見える。まだ子供達も登校しない時間帯、雛子はひとり歩きだした。
──痛たたた…。
数歩進んだ途端、雛子は顔をしかめる。細身の革靴のおかげで小指辺りがキリキリ痛むのだ。
──お母さんはすぐに慣れるっていってたけど、これならズックのほうが余程ましだわッ!
坂を登ると、幅4メートルほどの石段が待っていた。
段は10段しかないが、1段の高さが20センチはある急勾配だ。
「痛たた…」
雛子は痛む足で階段を登って行く。すると今度は立派な門柱と桜の木が出迎えてくれた。