「今日もまたあの場所で」-6
「なんかもの欲しそうに見てたのに？」
「別に。」
「ていうか、もしかして吸ったことないの？高３にもなって。」
「吸わないよ。つーか俺はタバコ吸う意味が分かんない。なんでわざわざ金払って毒のもとを吸いたがるのか。」
そう言うと岡崎は、なるほど、といった感じで目を細めた。
「毒のもと、か。和樹、私と同じ考えかたね。」
そういえば、岡崎は僕を名前で呼ぶようになった。もちろんここでだけだが。
同じ考え？ならなんで吸うんだ。怪訝な目を向けると、自嘲ぎみの笑い混じりに続けた。
「毒を吸いたくなるような時、あったの。自殺願望ってほどじゃないけど、なんだろ…自分への復讐っていうのかな。バカな自分への、ね。」
なにかを思い出したような、寂しげな顔を見て、僕は少しバツの悪い思いがした。
「…今でもその考えが？」
その問いに、岡崎は首を横に振った。
「今は無いわ。確かに嫌なこととか多いけど、不幸だと思うことが十個くらいあっても、幸せだと思うことが１、２個あれば人生なんてそれで十分釣り合いがとれるものよ。今もタバコ吸ってるのはただの習慣みたいなもの。」
「哲学的だな。それは人生訓？」
「最近、実感してることよ。」
そう言って僕の顔を見た。それは何か意味ありげだった。１、２個の幸せってのの一つが僕とこうして話すことなんじゃないかと思わされた。自惚れとかじゃなくて、きっとそうだ。僕は多分今岡崎にとって一番の友人であるだろうし、この時間は一番楽でたのしい時間であるだろうから。…そしてそれは、僕も同じだった。
今日も僕は屋上にいる。放課後ここに来るのは、もはや習慣と化していた。吹き付ける風が少し冷たい。ついこのあいだまであった夏の名残はすでに跡形も無く、あたりは秋の雰囲気に満ちていた。岡崎との会話の内容も、すこしづつ変わってきた。僕のほうが話すことが多くなったし、話題もいろいろなものに増えた。食べ物の好き嫌いや昨日見たテレビの話、社会問題や哲学的な話まで、なんでも話した。それでも、相変わらず不平不満を愚痴ることも忘れなかったが。
「前から思ってたんだけどさあ。」
暫く黙って夕陽の景色を眺めていた岡崎は、僕の問いかけにこちらを向いた。
「なんで教師になったんだ。」
僕が判断する限り、岡崎は教師という職業をあまり好いていない。まだなってから１年もたっていないのにこれじゃあ、何故この職に就いたのか疑問に思うのも当然だろ。
岡崎はその問いに一瞬嫌そうな顔を浮かべたが、その表情を打ち消すと、おもむろに話し始めた。
「なりたくてなった、て訳じゃ無いんだけどね。…少し思い出話みたいになるけど、いい？」
僕が頷くと、続けた。
「高校時代にね、好きな人がいたの。同じクラスの人で、あのときのわたしはそりゃ一途でね、その人と同じ大学、同じ学部に行きたいって思って、で結局、同じとこ行けたの。そこが教育学部でね。それで適当にやってたら惰性的に教師になっちゃった、て感じかな。」
何故か、僕の胸の奥のほうに痛みが走った。たくさんの縫い針を一本ずつ刺されたような感覚。この感覚がなんなのか、知っている。嫉妬だ。…滑稽だな。顔も名前も知らない過去の男に嫉妬なんかしたことも、こんな形で自分の気持ちに気付かされたことも。まったく、滑稽な話だ。
「で、その人とはどうなったんだ？」
心の機微を悟られないよう、いつも通りの口調で聞く。
「１年生の夏に告白したんだけど、どうなったと思う？」
「…ふられた？」
そうであって欲しかった。
「ブー、残念。オーケーされたわよ。………今思うと、ふられた方がよかったかな。」
呟くようにそう付け足すと、一旦口を噤んだ。その先を聞いていいものかどうか躊躇ったが、岡崎はまた自分から話し始めた。