エンジェル・ダストG-8
中華街から2ブロック向こうに黒塗りのセダンが現れた。乗っているのはサングラスとスーツ姿の2人組。佐藤と田中だ。
李邸の前にクルマを停めて降り立つと、真冬だというのに汚臭が漂う。2人は思わずハンカチで鼻を覆った。
「李は何でこんな場所に住んでんだ?」
「ヤツも華僑の頭だ。仲間の元が安心出来るんだろう。現に、儲けた金の一部を、こういう場所に還元してるらしいがな」
「いかにも悪党らしいな。悪行で儲けた金は仲間にしか使わんところが」
2人は李邸の門に近づくとインターフォンを鳴らした。
しばらくすると、蘭英美の美しい声がスピーカーから聞こえた。
「李海環邸ですが…」
佐藤はマイクに近づき、説得に掛かる。
「防衛省研究所の佐藤に田中と申します。是非、李氏にお目通り願いたい」
「どういった用件でしょう?」
「用件だけ申し上げますが、あなた方が匿っている五島英文を、我々に渡していただきたい」
佐藤の強い口調に、蘭は優しく答える。
「お話は分かりましたが、私どもとしては承服しかねますわね」
まるで子供でもあやすように。完全に見下した様子だ。
「お気持ちは重々承知してます。我々としてもタダとは云いません。その折衝を詰めさせていただきたいのです」
なおも有意性を解く佐藤。蘭は素早く計算した。
──仮に五島も居なくなれば、李はいよいよ預かっている情報を手放すのでは…。
「しばらくお待ち下さい。李に確認してまいります」
そう云ってマイクを切った。むろん額面通りに李には話さない。 今はそんな精神状態ではないからだ。
佐藤と田中が待ち続けること10分、ようやくスピーカーから蘭の声が聞こえてきた。
「残念ながら、李は体調が優れなくて誰とも会いたくないそうです」
予想した答えてはいえ、田中は少し意気消沈する。だが、佐藤は気にした様子もない。
「仕方ありません、今日のところは帰ります。近いうちにまた伺いますので」
言葉を残し、2人はクルマまでの道を戻って行く。
「最初はあんなモノで良かったのか?」
「ああ。最初は断られるに決まってる。これからが勝負だ」
「どこからそんなバイタリティが溢れてくるんだ?」
感心する田中に対し、佐藤は諭すように語り掛ける。
「何かの雑誌で猛烈営業マンの記事を読んだことがある。そいつに云わせれば、──営業は断られてからが勝負─だそうだ」
「どういう意味だ?」
「そいつから見れば、欲しがる客に売るのは当たり前だそうだ。
そんなことは誰にでも出来ることらしい。
本物の営業は断られた相手に、いかに商品が優れているのかをアピールして売り込むことが出来るからしい」
「カリスマ営業マンと、李の懐柔との共通項は?」
「だから、どちらもパーソナリティに掛かってるんだ」
「パーソナリティだと?」
田中は思わず奇声を発した。──アイスマン─のような相棒から、パーソナリティなどという単語を聞くとは思わなかった。