キミのうしろ-1
「なぁ…ちぃ?」
学校からの帰り道。あたしに背中を向けながら悠太はあたしに話しかけた。
「ん?」
あたしはというと、悠太がこぐ自転車の荷台に乗って、しっかりと悠太のブレザーを掴んでいる。
「帰るの早いし、練習しようよ。な?チャリ。」
そう。あたしは17にもなって自転車に乗ることができない。中学生のときまでは、家から学校が近かったから徒歩で通っていた。進学した高校は自転車で30分ほどかかるところにあって、そのくらいの距離じゃ遠くもないはずなんだけど…。
「ちぃのお陰で、学校行くだけなのにすげー疲れるんですけどっ!お前、もうちっと痩せてたらなぁ」
この憎まれ口をたたいてる男、大崎悠太はあたしの幼なじみだ。生まれてから今まで、ずっと一緒の時間を過ごしてきた。悠太は、あたしのことを『ちぃ』と呼ぶ。本名は千尋だけど、そう呼ぶのは悠太しかいないし、何よりも悠太がそう呼んでくれるのが嬉しかった。あたしは昔から悠太が大好き。いじわるだけど優しくて、誰にでも好かれて、あたしに見せる表情も、全部。高校に入ってから背も急に伸びて、ぐっと大人っぽくなったように感じる。でも、悠太はあたしの気持ちなんか全然気づいてない。それでいい。バレたらこの心地よい関係は全部無くなってしまうから。幼なじみのままで、今のあたしには充分だ。
「違うって!上半身うごかすなって言ったろ?」
「だってぇ…。」
家の前の道で、あたしは悠太と懸命に自転車の練習をしていた。悠太が後ろを押さえながら乗ればちゃんと進めるのに、一人でするとどうしても上手くいかない。ペダルをひとこぎするだけで、片方の足が地面についてしまう。
「あのぉ…ちぃちゃん?やる気あります??」
呆れたように悠太が言う。中学を卒業し、高校が決まってから必ず週に1回は一緒に練習してきた。それなのに一向に上達しないのだ。
「やる気はあるよっ!コイツがあたしのこと乗せるのイヤだって…。」
あたしは自転車を指差し、悠太を見上げる。悠太は困ったような顔をしていた。
「俺の愛車に文句つけるとは、生意気なやつめっ。コイツのお陰で、ちぃは学校行けてんだぞ?」
「痛っ」
悠太が、あたしの頭を後ろから軽く小突く。悠太に触られたところがなんだかあったかくて、自分の手を無意識のうちに持っていってしまう。
ふと考えてみた。今まで、悠太と一緒にいられる時間が嬉しくて自転車の練習をしてきたけど、もしも、明日か…1ヶ月後か1年後か分からないけど、あたしが自転車に乗れるようになったらどうなるの?家と学校の往復と、夕方の練習…。あたしと悠太を繋ぐものは自転車だけだ。あたしが自転車に乗れるようになったとき、悠太と一緒にいられる時間は無くなってしまう。
「はいっ、もう1回…って、どうした?気分悪い?」
急に静かになったあたしを心配するように、悠太は顔を覗き込む。今の自分が、とっても情けない。
「ん…大丈夫。ねぇ、どうしても自転車乗らなきゃだめ?」
あたしは悠太を真っ直ぐ見ることができなかった。
「お前さぁ、ちょっと頑張れば乗れるようになるって!隣のタカちゃんだって乗ってんだぞ?小学生に負けてどーするよっ」
悠太は続ける。
「ちぃに彼氏でもできれば、毎日そいつに送ってもらえんのに。早く男つくれよ?」
「スキな人なんかいないもんっ」
あぁ、本当に悠太はあたしの気持ちに気付いてない。ほっとするようで、ちょっと虚しい。
「でも、やっぱあれでしょ?」
「…なに?」
悠太がなにやら意味深なことを言い出す。
「俺らも17だしさ。そろそろ…ヤバくない?幼なじみとか、そーとーダサいじゃん?だから…さ」
「…っ」
あたしは、ショックのあまりちゃんとした声が出せなかった。悠太はあたしと離れたがってる。スキな子でもできたの?あたしのこと、嫌いになったの?頭の中で、たくさんのクエスチョンがぐるぐると回る。そしてその渦が、一気にあたしから飛び出す。
「やだっ!あたし以外なんかやだぁ…」
「は?何言ってんの…ちぃ?」
悠太が泣きじゃくるあたしに手を伸ばす。あたしはそれさえも振り払った。
「あたしっ、ずっと…悠太がスキだよっ。なんで気付いてくれないのっ?一番近くにいたのにぃ…。」
こうなったら、何もかも止まらない。感情も、涙も、嗚咽も、言葉も。
「だから…離れるなんて言わないでっ!」
「ちょっ…待って!」
あたしは思いっきり走って、自分の家の玄関に逃げ込んだ。その夜はひたすら泣き続け、いつの間にか眠ってしまった。