「穴」-7
「・・・じゃあ、僕が見たのは・・・。」
「おそらく彼女だろうね。」
「そんな・・・そんなことがあったなんて聞いてなかったですよ!?」
今の決まりでは、そういう曰く付きのところは契約前に説明しなくてはいけないのだと、どこかで聞いたことがある。
僕はつい声をあらげてしまった。
「本当に君にはすまい事をしたと思っている。でもね、これには理由があるんだよ・・・。」
大家さんは困ったように僕をなだめ、話を続けた。
彼女の死後、あのアパートではずっと不可解なことが続いたそうだ。
彼女の怨念は、アパートを取り壊すことも、あのアパートを封鎖することも許してはくれなかった。
唯一、彼女の隣の部屋、つまり男の住んでいた部屋に「入居者」を住まわせることで、不思議と怪現象がおさまったのだ。
「そのことが分かるまで、ずっと不可解なことが続いてね・・・ようやく今は落ち着いているんだ。」
歴代の「入居者」たちの半数ぐらいは、不思議と彼女の姿を見ていない。
見た目や性格に共通点はなく、どうして彼らに彼女の姿が見えなかったのかはまったく不明だが、そうした「選ばれざる者」が運良く入居してくれれば、全てが丸くおさまる。そんな理由で僕はまんまとこのアパートに住むことになってしまったのだ。
「それじゃあ、彼女を見てしまった人たちはどうなったんですか?」
僕は彼女に「選ばれ」てしまった。僕のように、彼女を見てしまった人たちはいったいどうなったんだろう。
「・・・最近の人たちは、みんな私が持っている別のアパートに移ってもらっているよ。そちらに行ってからは普通の生活をしている。」
僕は胸をなでおろし、張り詰めていた息を吐いた。
「じゃあ、僕もそうしてもらえるんですね?」
「もちろんさ。大学からは少し離れるけど、今の所より新しいし、部屋も広いよ。」
さらに、家賃は今と同じ、手続きや引っ越すための費用やらも全て大家さんがもってくれるという。
僕としては、元々アパートを探すときに距離は覚悟していたし、新しい広い部屋のほうがいいに決まっている。だからその話は快諾した。
「ただ、その代わりと言ってはなんだが・・・人にはあのアパートのことはだまっていて欲しいんだ。もちろん不動産屋にも。」
「え?」
「人が入らなくなってしまったら、私は終わりなんだ!だから、頼む!この通りだ。」
突然、大家さんは土下座をし、必死に僕に懇願した。
床に頭を擦りつけ、何かにひどく怯えたようなその様子から、今までどんなことがあったのか・・・
僕の乏しい想像力でも、身震いを感じるような気迫だ。
「大丈夫です。僕は誰にも話しません。」
僕は引っ越してしまえばアパートに巣くう怪奇から逃れることが出来る。
しかし、大家さんは今までもこれからも、ずっと逃れることのできない恐怖と共に生きていかなくてはいけないのだと思うと、住人のトラブルに巻き込まれただけの大家さんが言わば、一番の被害者ではないかと哀れに思った。