DEAR PSYCHOPATH−10−-5
「まさか・・・」
僕は迫る絶望に目にむいた。そう、始まりの反対は終わりであり、彼の左手はまさにそれを意味していた。終わり・・・それはつまり・・・旅の終わり。
「覚醒」
思った言葉が口をついて出る。
それを聞いたヘンリーはいやらしい笑みを浮かべ、こう言った。
「だから俺はこの世界で先へ先へと急いでいただろう。なるべく早く覚醒したかったんだ」
何て事だ、とうつむきかけた時、ふと、待てよ、と思った。エド・ゲインを倒すために業火の中に残った、流のことだった。彼はどうしたのだろう。エド・ゲインさえ倒せば、この呪縛は消えるのではなかっただろうか。あの少年さえ死ねば、全ては終わるのではなかっただろうか。僕は再び顔をあげた。
「ヘンリー」
「何だ」
「お前が覚醒しかけているということは、エド・ゲインは死んじゃいないんだな」
「ああ」
それは流の死を確信する瞬間だった。僕は絶望と悲しみの追い打ちに、うなだれた。彼の死は覚悟していたはずだった。けれど、やはりどこかで彼の無事を期待していたのだ。明日にでも、ひょっこりと顔を見せに来てくれるのではないかという根拠のない予感に賭けていたのだ。けれどそれは、ヘンリーの一言によって見事に打ち砕かれた。やはり、流はエド・ゲインによって殺されたのだ。膝の上では二つの拳が震えていた。その理由がなんなのかははっきりしなかったが、その中に、胸を引き裂かれそうな悲しみがあったのは確かだった。
「シノブ」
ヘンリーの呼びかけに答えることはなかった。もしここで声を出したなら、情けない泣き声しか出て来なかったはずだ。僕は必死に嗚咽を堪えながら、かみ合わない歯をカチカチと鳴らした。
「泣くな・・・。シノブ」
僕は、無言で頷いた。
気がつくと、僕は再び、現実の世界へと舞い戻ってきていた。白いレースからこぼれる白い光は朝のやわらかなものではなく、どちらかというと、体を射すようなきついものだった。少しの間、ぼんやいりと天井を眺め、さっきまで見ていた夢のことを思った。僕が悪夢と呼んでいたそれは、僕の傷をほんの少しだが癒してくれた。確かにヘンリーは凶悪殺人犯だ。その考えは今でもかわらない。けれど、言いようによっては、彼は、純粋でもあった。ベッキーに対する愛情にしても、憎むべき敵エド・ゲインに対する復讐心にしても、そして自分の欲望にも。
ヘンリーは、まるで不純物の一切含んでいないダイヤモンドのように、純粋だった。
「あれが、本来人間のあるべき姿なのかもしれないな」
僕の呟きは涙声だった。あの世界から唯一、涙だけは持ってきてしまったらしい。僕は苦笑した。
「まさか、サイコパスに慰められるとはな」
別におかしいことなんて何一つないはずなのに、僕はベッドの上で腹を押さえて、少しおおげさに笑った。腹の奥から絞り出した笑い声が、つながった放物線のような波を作る。そして、他人のものみたいな笑い声を聞く度に、耳元ではヘンリーの言葉が一句一句こだまするのだった。僕が夢から覚めようとした時、別れ際、確かに彼はこう言った。
『俺は今度こそ、ベッキーを守る』
その時の僕はまだ、彼の言葉が何を意味しているのか、考えようともしなかった。今はただ、ベッドの上で響く笑い声が、しだいに泣き声にかわっていくのを聞いているしかなかった。